それは釣りの効能か、あるいは逃避か

去年の暮れ頃から、これからの自分の人生の行方を左右する大きな悩み事を抱えている。それはとても重要なテーマなので、考えても考えすぎるということがない。で、足りない頭なのにずっと考えていたらいよいよ煮詰まって来て、今にもパンクしそうになった。

そこで、昨日の夜にこれではいかんと思い立ち、静岡のとある管理釣り場へ今日は一人で出かけることにした。朝食をとって新聞を読み、いよいよこの3月で引退となる「おかあさんといっしょ」のしょうこお姉さんのご尊顔をたっぷり堪能してから、さてそろそろ行くか、とおもむろに車へ乗り込んだ。待ち合わせも乗り合わせもないこの自由さ。やはり釣りは一人に限る。

釣り場に着くと天気は快晴、気温は2度、水温は14度(!)。水に手を入れるとなまあたたかい。さすがは湧水だ。いい水は管理釣り場の何よりの財産だ。ライズこそないものの、魚たちはそこそこやる気がありそうな感じ。時々、水面上にドッカーンと跳ねたりテールウォークしたりする魚がいるが、虫なんかまったく飛んでいない状況下であんなことするやつらはメンタルヘルス系に問題があるので、狙っても釣れるはずがない。だからいくら跳ねても気にせず、はなから相手にしないのがお利口である。

周りを見回すと、片膝ついてウルトラライトアクションのロッドを目線の高さに掲げ、水面直下に極小スプーンをスローリーリングしているルアーマンが多い。ここ数年大流行のカンツリトラウトルアー独特のスタイルで、たしかにスレッカラシの鱒を「釣る」ためにはうまい方法だ。ただそのように釣果最優先を志向してしまったがために、管釣りルアーの世界も今やマニア層が中心となり、昔のように初心者がおおらかに遊びの釣りを楽しめる雰囲気にないようだ。ハコ釣りにはハコ釣りの趣と味わいがあるものだが、マスのハコ釣りには、残念だがヘラブナのハコ釣りほどの奥行きがないように思う。ただし、そこに自然の虫の羽化が絡んでくれば話は別だ。

さて、私はというと昼から夕方まで、トイレ休憩もがまんしてぶっ続けで釣ってしまった。ここの魚はアベレージが1キロほどなので、10匹も釣ったころには運動不足でなまっている腕が痛くなったが、かまわず釣り続けた。パターンをつかんでからはけっこう入れ食い。10人くらいいいた釣り人の中で明らかに私が一番釣った。すげー釣れる、すげー腕痛い、なんて下品なんだ、すげー楽しい!

やっぱり釣りはいいなあ、と帰りの高速をニッコニコ顔で運転しているとき、あれそういえばおれ、たしかなにか悩んでいたはずだったな、と気づいた。思い出そうとしたが本当に思い出せず、まっいいか、やっぱり釣りは平日&一人に限るぜ、とカーオーディオのボリュームをグオーンと上げてみたりなんかした。