【公開記事】
発言!
フライフィッシング業界よ、変わりましょう!
釣り雑誌の編集会議にメーカーの担当者が集合して、
誌面内容を決めていくなんて、おかしな話です。
匿名希望(フライフィッシング業界に携わる一釣り人)
幼いころから色々な釣りをしてきましたが、長年のあこがれであったフライフィッシングをはじめた時のうれしさは、今も忘れられません。そして初めてフライフィッシングで魚を釣ったときの感動ときたら…。
フライフィッシングが日本で本格的に行われるようになって、約40年経ちました。私も一ユーザーとして、それなりに長くフライフィッシングを楽しんできました。
これまでの40年間には色々な時代があったと思いますが、現在のフライフィッシング業界を鑑みてまず思うのは、閉塞感。そして「なにも変わっていない」ということ。もちろん「なにも変わらない良さ」はありますが、「なにも変わらない」ことによる弊害もあるのは当然です。
先日、10年ほど前に購入した渓流釣りの雑誌を読んでいました。すると、今現在も日本のフライフィッシング界のトップの位置にいる何人かの内のお2人が釣りのノウハウを説明されていて、それを久しぶりに読んで愕然としました。
つまり、「なにも変わっていない」のです。
変わるべきこと、
変わるべきでないこと
釣りのもつロマンチシズムは、今も昔も変わることなくて当然です。が、メソッドなどの実際の釣りのノウハウが、10年前も今も変わっていないのは、驚きと言うほかありません。そしてもっと恐ろしいのは、10年間なにも変わらないメソッドしか紹介できない釣り師が、この業界のトップの位置に立ち続けているということです。(私が言っている「トップの釣り人」とは、いわゆる「プロ」と呼ばれる釣り人のことです。彼らはメディアにたびたび登場し、自分の名前のついた商品などを発売しています。)
私の友人たちには、フライフィッシング以外の釣りを楽しんでいる、色々なスタイルの釣り師がいます。彼らを聞くと、10年前に有名だった人が残っていることはほとんどないそうです。また残っていたとしても10年前のメソッドに縛られることなく、またそのメソッド自体も根本的に進化していたりと、いい意味での変化が聞いてとれました。
しかしです。フライフィッシング界に関してはさにあらず。
現在でも、あいも変わらず10年前と変わらぬ面々がトップにいます。トップにいることが悪いのではなくて、トップにいるのになにも変わらず、10年前と変わらぬメソッドで釣りをしています。実がないのに、名だけ残っている感があります。
たしかに渓流のような狭いフィールドでの釣りには、革命的な変化がそうそうあるものではないと思います。新しいモデルのロッドを発売するのはいいですが、それにしても、毎度毎度たいして変わらない、同じようなロッドが出てくるのは、どうしたものでしょう。
ユーザーの中には「変わらない」ことを希望する人もいるでしょう。しかし若い人を中心に、なかには「変わること」を希望する人々もいるのではないでしょうか。もしくは、「変わるべきではない部分」と「変わらなければいけない部分」とが、存在するのではないでしょうか。
私が思うに、今のフライフィッシング業界は、フライフィッシングをある程度経験している特定の世代を対象にした営業、販売に傾注しすぎではないでしょうか。これからフライフィッシングを始めたいという人には、非常にやりにくい状況でしょう。バブルの時に拡大したユーザーを確保・保持しておきたいというメーカーの気持ちはわかりますが、同時に、新規ユーザーの参入を促していく方策も必要なのではないでしょうか。
いまの釣り雑誌には魅力がない
釣り雑誌(メディア)にしても同様です。主義や精神性を前面に押し出しすぎて、釣りが持つ本来の楽しみから、かけ離れた内容が多くなっているように見受けられます。また、メーカーのちょうちん記事(広告記事)もあまりあからさまに多いと食傷気味になり、購買意欲をそがれます。まぁ、メディアも利益追求団体ですからお金を求めるのは当然ですが、なにごともほどほどが一番なのではないでしょうか。
年間に個人での釣行日数が1週間を切るような人がプロと呼ばれる立場にいたり、湖でまともに釣りができない方が湖のフライフィッシングの記事を書いていたり、「ミッジからソルトウォーターまでできる」とプロフィールに書いてある人がソルトウォーターでの釣りを紹介するところを見たこともなかったりと、おかしいことだらけです。
釣り雑誌の編集会議にメーカーの担当者が集合して、誌面内容を決めていくというのもおかしな話です。
現在のフライフィッシング専門誌に関して言わせていただくと、「毎年毎年内容が変わらない」から、「毎号毎号内容が変わらない」ものになってきたと思います。
いまの釣り雑誌にフライフィッシングについての新しい提案力がないのは寂しいことです。
個人の発想力には限界があるので、誌面に登場する色々な人による色々な発想が、また自分の次の発想への刺激になります。しかし、「いつまでも変わらない」内容ならば、ただのルーティンワークにすぎず刺激にもなりません。
いつもの川に行って、いつものポイントで、いつものフライを使って、いつもの魚を釣るのも、悪くないのかもしれません。しかし、それがすべてではなく、「いつもとは違う場所に行って、いつもとは違うメソッドで、いつもとは違うフライを巻いて、いつもとは違う魚を釣る」というのも楽しみたいではありませんか。少なくとも私はそう思っています。
私はただ釣りの話が読みたいだけなのです。「魚がいて、それを釣るために、釣り人がいかに工夫して釣るという目的を達するかという軌跡」を読みたいのです。
どのように魚を釣るか、という工夫があって、そこから生まれる発想や理論に肯いたり、感心したり、あるいは反論したり疑問に思ったりする。そこが楽しいと私は思っています。フライフィッシングは、他の釣りと比較しても釣りの中にすごく工夫する部分が多いと私は思います。
釣り雑誌はフライフィッシングの楽しみ方の多様性を発掘して、意図的にフライフィッシング界を動かしてほしい。右向け右だけではなくて、時には左を向いてほしい。10年間も変わらない理論や工夫には、なんの魅力も感じません。
ただフライフィッシングを
楽しみ続けたいだけ
フライフィッシングはお金と時間がかかる釣りではありますが、色々な釣りを経た上で挑戦しても、ほかの釣りになんら遜色のない楽しみを持った釣りだと自負しています。そんな釣りが自ら門戸を狭くしてユーザーを選別するのは、悲しいことではないでしょうか?
もっと多くの釣り師にフライフィッシングを楽しんでもらえれば、それでショップなりメーカーなりメディアにお金が落ち、そこからさらに便利な道具や質のいいサービス、有益な情報が得られるようになります。
私は私自身がこれからもフライフィッシングを楽しんでいきたいが故に、今後フライフィッシング界全体が変わっていくことを期待して、フライフィッシング界を変える努力をしていきます。
私はただただフライフィッシングを楽しみ続けたいだけなのです。