【特別公開】押しつけの〝公益〟より〝人間としての自由〟(水口憲哉)

釣り人は、いい釣りをして、たのしく人生を送れれば、それだけで幸せな生きものだ。けれど〝釣りだけしてたのしく暮らしていく〟のは、それはそれでなかなかむずかしい。

とくに最近の日本の世相を見回すと、楽しい釣りのジャマをするあれやこれやがたいへん多い。子どもたちの世代へつなげたい釣りを考えると、見通しはさらに危うい。

いやなことは見なければいいという考えもあるけれど、どうしても見えてしまうし、いやがおうでも巻き込まれてしまう。そういうのは釣り人的にはたいへん困る。

以下は、2014年3月15日発行『フライの雑誌』第101号掲載の水口憲哉氏〈釣り場時評第74回 ──押しつけの〝公益〟より〝人間としての自由〟〉の一部です。

ひとりひとりが、それぞれの楽しい釣りをずっと続けられる未来でありますように。

気をつけよう、大きなきれいごとと、えらそうなウソ。

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釣り場時評 74 (『フライの雑誌』第101号掲載)

押しつけの〝公益〟より〝人間としての自由〟

水口憲哉(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)

気仙川のサクラマスは守られた

東日本大震災の津波を理由に、強行建設を主張していた岩手県が気仙川の津付ダム建設を中止した。無理な計画の止め方に困っていたところに、津波があったということなのだろうか。

… 『桜鱒の棲む川』である安家川について、前号(第100号)の最後で、〝津波の被害がなくよい川を維持する安家川漁協(中・上流)は一斉更新がらみでサクラマス遡上期だけウライの鉄格子を外すよう主張している。〟とのべたが、結局この安家川漁協の主張は漁業権免許とは直接関係していないためか受け入れられなかった。しかし、サクラマス増殖の根本にも関わる問題なので、岩手県の当局者も理解を示し始め漁協と県とのこの点についての話し合いの場が持たれることになった。

拙著 『桜鱒の棲む川』の表紙は山下裕一さんの〝気仙川をのぼるサクラマスの群れ〟であるが、その気仙川支流大股川に建設が計画されていた津付ダムについて、昨年(2013年)8月に岩手県が建設中止の方針を打ち出したと「めぐみ豊かな気仙川と広田湾を守る地域住民の会」の会員が、小学生の息子さんと共に広田湾で採ったウニに言付けて知らせてくれた。2009年2月、本欄で〝このダム建設計画は中止となり、気仙川のサクラマス資源は維持されると思う。〟と言い切っている(『フライの雑誌』第84号掲載)。

岩手県の中止の理由は、『気仙川の治水が目的だったが、下流域の陸前高田市は東日本大震災の津波で被災し、市復興計画で高台移転やかさ上げが示されたことから、県は洪水対策は河川改修で十分と判断した。』というものである。洪水対策は河川改修で十分なので上のように言い切っていたのであるが、まさか、東日本大震災の津波を理由に強行建設を主張していた岩手県が中止するとは思わなかった。無理な計画の止め方に困っていたところに津波があったということなのだろうか。

漁業権を強制収用したくて仕方がなかった山形県

小国川ダムをめぐる山形県の横暴さと非道さについては、山形新聞を始め全国紙、NHK等が続々と知らせ、ネットでも皆が関心を持ち始めたことにより、県もあわてて収拾に乗り出した。

気仙川の場合は、表立った漁協の反対の見られないダム建設計画であったが、同様の穴アキダムの建設に内水面漁協が毅然として、強固な山形県に反対し続けているのが最上小国川である。2013年12月に本性をむき出した山形県は、小国川漁協がダム建設に応じない場合は今年1月1日から漁業権が更新されず免許されないものと覚悟しろと言い出した。

2007年2月の本欄(『フライの雑誌』第76号)で、『冒頭に紹介した山形県内の新聞記事の中には、ダムによる川の埋め立てに漁協が反対した場合、強制収用も法的には可能であるという意見も記されている。』と述べ、川辺川ダム建設の例をもとに漁業権の強制収用は無理であると言っている。

山形県は強制収用をしたくて仕方がなかったのだが、漁協が補償交渉に応じていない限り無理だと水産庁に言われたのか、10年に1回の一斉更新を利用して漁業権を免許しないとおどかしたという訳である。漁業権を免許されなかったら、ダム建設に反対出来ないのはもちろん、小国川で安心してアユやサクラマスを獲りつづけられなくなるのでまさに組合員にとっては命取り、死活問題である。

この事態の深刻さと、山形県の横暴さと非道さがようやく見え始めた山形新聞(2013年12月18日、朝刊一面トップ記事)を始め全国紙、NHK等が続々と知らせ、ネットでも皆が関心を持ち始めたことにより、県もあわてて収拾に乗り出した。そのもう少し詳しい経過と結末については本誌編集人の「日本釣り場論」『フライの雑誌』第101号20ページにゆずる。※全文公開中 

漁協組合員の一部でも漁業補償交渉に応じてはいけない

ダムの場合は、組合員の一部でも漁業補償交渉に応じてはいけない。それほどに農地や漁業権の強制収用というものは強力で暴力的なものと言える。

ここでは県が脅しの文句に使った「公益上必要な行為について十分配慮しなければならない。」という一行中にある、公益とは何かについて深くえぐり込んでみようと思う。

これは2013年5月10日の山形県公報で公示番号内共第11号(共同漁業権漁場としての小国川のこと)の免許の制限又は条件の項目にある一文である。そして、7.その他として、〝県は、最上町大字富沢地先の最上小国川においてダム建設工事を、同郡舟形町大字長沢地内においてかんがい用地施設改修工事を計画している。〟とある。要は公益上必要な行為であるダム建設工事に十分配慮することが許可条件であると思わせようと企んだのである。

企みだというのは、本来漁協は県がダム建設を計画していることは痛いほどにわかっている。そこに計画があるから十分配慮しろと言われても、計画するのは勝手だが、だからと言って漁場を埋めたてることには同意しませんよと言い続けるしかない。ただ組合員の中には、あんまり断り続けると本当に漁業権が免許されないかもしれないと補償交渉に応じてもいいのではないかと言い出す者も一部に出てくる可能性がある。

それが県の狙い目で、強制収用の糸口が出来る。漁業権の強制収用というのは土地収用法の中で規定されており、空港や港湾そしてダムなど公共事業のために必要な土地は強制収用できるとされている。具体的にこの強権が発動されたのが成田空港予定地の強制代執行である。

だから、原発やダムの建設に反対し漁場を守ろうとする漁民は三里塚闘争のようになる可能性もあると腹を決める人もいるが、筆者は原発の建設に反対し続けて漁場を強制収用された例はない、サービス業である電力会社がそのようなあこぎなことはやろうと思っても出来ないと言い続けて来た。

しかし、ダムの場合はそうとも言い切れないので、組合員の一部でも漁業補償交渉に応じてはいけないのである。小国川漁協は頑固一徹である。それほどに農地や漁業権の強制収用というものは強力で暴力的なものと言える。

では、その根拠となっている公共事業の公共とはいかなるものか。

〝公共の利益のため〟とは何だろう

公共のため、国益のため、国家のためと少しずつずれていって、戦争をするために国家機密法や治安維持法が必要となってくる。

筆者は40年以上昔、東京水産大学に就職した際学長の前で読まされた誓約書中の〝国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務する責務をもつ〟という文言を今でも鮮明に覚えている。

公共という意味を初めて真剣に考えた。そしてみんなのために働けばよいのだと納得した。

公共の福祉について手元の広辞苑第五版では、『社会構成員全体の共通の利益。基本的人権との調和が問題にされる。』とある。しかし、世間には国家公務員なのだから国のために働くと考える人もいる。

そのことを間もなく原発反対運動にかかわり出し思い知らされた。〝国の施策である原発建設推進に反対して国家公務員として圧力がかからないのか?〟と聞く人が多いのである。

事実1986年のチェルノブイリ原発事故の前、国家公務員が原発に反対すればその職場を追われるという西ドイツの状況もあった。しかし、漁業にとって原発はよいことは一つも無い、漁業の維持のために反対していると水産大学の人間が発言することに異議を唱えることの出来る人はいなかった。

また、山口県豊北町矢玉漁協の漁師が、〝原発建設が国益というなら、オレがブリを獲り続けるのも国民のためだ〟と原発拒否を貫き通したことにそれでいいのだと快哉を叫びもした。

福島第一原発の大事故のことを考えれば、この漁師は結局原発をつくらせなかったことにより、豊北町、山口県、中国地方日本海側、いや日本の漁業を大災害から未然に守ったと言える。

公共のため、国益のため、国家のためと少しずつずれていって、戦争をするために国家機密法や治安維持法が必要となってくる。

ひとりが自由に生き続けられる生活を

釣り人を始めとする大多数の人々が、国家より個々人の人権がまず第一と考えている。別の言い方をすれば〝人間として自由に暮らす、ただ人間であればいい〟と。

日露戦争をはさんで足尾銅山鉱毒問題に取り組んだ田中正造の「公益」概念について、反原発運動の40年来のつき合いである菅井益郎(1989年「現代思想」上で〝放射能の民主主義〟という対談もしている)は「公共する人間4〈田中正造:生涯を公共に献げた行動する思想人〉の発題Ⅱ 足尾鉱毒問題と民衆環境運動」中で、田中正造が亡くなる直前の書簡で「公益々々と叫ぶも、人権を去って他に公益の湧き出るよしも無之」と述べ公益より人権を重視する考え方を強調していると言っている。

今年2014年の1月7日、高校日本史の必修化と共に新科目として「公共」の導入も検討すると文部科学大臣がのべている。田中正造の「公益」概念は高校で絶対教えてはならないことのリストに指定されるかもしれない。

「公共の福祉」とか「公益のため」ということとは全く関係なく、釣り人を始めとする大多数の人々が、国家より個々人の人権がまず第一と考えている。別の言い方をすれば〝人間として自由に暮らす、ただ人間であればいい〟と。

このような考え方を荻原魚雷の『活字と自活』や『本と怠け者』を読んで筆者は強く感じた。本誌初登場(第101号134ページ)の魚雷さんについて上の二著作を読んでの紹介。非常時にも、常時にも何の役にも立たない文章を書いて、漂えど沈まずの持続可能な生活(生き続けることのできる生活)をしながら私小説のような批評を書きたいと思っている文筆業。…

2010年は、原発温廃水の調査で、青森県大間と鹿児島県甑海峡にそれぞれ二回ずつ訪れ、岩手県気仙川と安家川にも行っている。3・11以降千葉と東京の外には全く行っていない。もともと釣りは殆どやらないのだが、釣り場である川や湖沼、そして海の現場に接することもなくなった。しかし、世の中魚や海や川について文句を言ったり、批判したり、考えを言いたくなることは次々と起こる。

そこでこれから本欄では、釣りに関係なく次のような事柄について発言してゆきたい。

1)魚や海や川について、なんだかわからない、いったいどうなってるの、一寸おかしいんじゃない、なんだかうさん臭い、どうも気にかかる、気にいらないことども。
2)私は言い続けて来たが他の人は誰も言いも書きもしない魚の話。かくされていたり、多くの人がごまかされたり、のせられたり、見ないようにさせられたりしていること。
3)私のきづかないこと、どんどん質問し、要望して下さい。(2014年1月20日 記)

〈本稿終わり〉

※原文は『フライの雑誌』第101号掲載

※まとめ 『フライの雑誌』編集部/堀内

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『桜鱒の棲む川』表紙より。山下裕一さん撮影〝気仙川をのぼるサクラマスの群れ〟
『桜鱒の棲む川』表紙より。「めぐみ豊かな気仙川と広田湾を守る地域住民の会」山下裕一さん撮影〝気仙川をのぼるサクラマスの群れ〟
桜鱒の棲む川―サクラマスよ、故郷の川をのぼれ!(水口憲哉)
魔魚狩り―ブラックバスはなぜ殺されるのか(水口憲哉)
選ぶべき未来は森と川と魚たちが教えてくれる。─『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』(水口憲哉=著)
『フライの雑誌』第101号
『フライの雑誌』第101号
フライの雑誌 113(2017-18冬春号): ワイド特集◎釣り人エッセイ〈次の一手〉|各界で活躍中の個性派釣り人が熱く語る〝次の一手〟とは。川野信之/黒石真宏/碓井昭司/本村雅宏/渋谷直人/平野貴士/坂田潤一/遠藤早都治/加藤るみ/田中祐介/山本智/中原一歩/山﨑晃司
○天国の羽舟さんに|島崎憲司郎
○〈SHIMAZAKI FLIES〉シマザキフライズ・プロジェクトの現在
○連載陣も絶好調
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『フライの雑誌』第113号
本体1,700円+税〈2017年11月30日発行〉
ISBN 978-4-939003-72-1 AMAZON