読者と関係者の皆様のおかげで、『フライの雑誌』第110号を無事に出せた。昨日からAmazonでも「在庫あり」になった。いまがいちばんホッとできるタイミングだ。水面でパクパクする金魚のように、次の号に向けてたっぷり酸素を吸い込んでおきたい。(月刊誌の人は本当にすごいと思う)
12月13日、第110号にも寄稿してくれている荻原魚雷さん(今回はわたしも好きな故・伊藤桂一さんについて書いてくださった)をお誘いして、師走の街をあるいた。
「練馬駅で昼に待ち合わせしましょう」と魚雷さんと約束していた。わたしは待ち合わせ時間に遅れるのがすごくいやなひとだ。新宿から大江戸線に乗り、練馬駅へ11時20分に着いた。余裕がある。よし。東京都民だがじつは練馬駅は初めてだ。
練馬にはダイコンのイメージしかなかったが、駅前は予想よりはるかに栄えていてびっくりした。わたしの地元の日野なんか比べ物にならない。さすが23区内だ。電車が2路線、改札が3つもある。「練馬駅で昼に」と約束したがどの路線か、駅のどのへんかを決めていなかった。
なんとなく適当に着いたら携帯に電話すればいいやくらいに思っていたが、魚雷さんは携帯電話を持っていない。魚雷さんの住んでいる高円寺からはバスの便もある。どこで張っていればいいのか、いよいよ分からない。
30年前の待ち合わせだったら、時間と場所をきっちり決めていた。たとえば「京王線新宿駅のパンダ前に18時ね。」とか、できればどこかのお店を指定しておくと安心だとか、子どもでも分かっていた当時の常識をすっかり忘れていた。携帯を持っていない相手との待ち合わせは、30年前へのタイムスリップだった。うかつだった。
大江戸線の地下改札と出口2つと、高円寺からのバス便のロータリーとを小一時間もウロウロしていたが、魚雷さんに会えない。出会い頭に魚雷にぶつかるのはいやだが、今日は魚雷さんに会いたい。念のため、これから行く予定の室内釣堀「Catch&Eat」に電話して、「メガネかけたやさしそうな男のひとが一人で釣りしていませんか」と聞いてみたが、いないという。
12時20分になったとき、山で遭難したときの鉄則[動かない]を思い出した。高円寺からのバスの停留所の前に腰を据えた。釣堀の場所は魚雷さんに伝えてある。このまま13時まで待って会えなかったら、ひとりで釣堀へ行こう。
12時30分少し前、わたしの携帯に公衆電話から着信だ。息せき切って出るとやはり魚雷さんだった。西武線練馬駅の改札にずっといたらしい。バスも地下鉄のことも、まったく頭になかったとのこと。向こうは向こうで、西武線の改札からひたすら動かないで、救助を待っていたようだ。
中年のおっさんが二人して、平日の白昼に練馬駅で待ち合わせして会えなくて、お互いに決めた場所を動かず、救助を待っていた。会えたからいいけど、よく考えなくても情けない。戦争中だったら、二人ともいちばん先に死んでいるタイプだ。魚雷さんはともかく、編集者のわたしは本来は事務的な仕事をテキパキと処理していかなきゃいけない役目のはずなのに。
ただ、魚雷さんと待ち合わせして会えなくてもイライラしないのは、まったくふしぎだ。こういうのを波長が合うと言うのかもしれない。魚雷さんの人徳でもあるだろう。これがもしカブラー斉藤氏が相手だったら、カブラーが5分待ち合わせに遅れるだけで、わたしはキーッという精神状態になる。カブラーは待ち合わせに2時間遅れが普通だから、毎回ひどい。しかもカブラーはごめんなさいを言えない子だ。
ようやく西武線の改札で魚雷さんと落ち合った。お互いに顔を見て、なんとなく恥ずかしくなり、「いやあー」、「なーにか」とか言って、じゃあそろそろ行きましょうか、と釣堀へ向かったのだった。
(会うだけで長くなったので、続きはまた来週)
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