次号第111号の編集の合間に、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(中原一歩)を読みすすめた。黒豆紛失事件、わかめ味噌汁爆発事件などイベントてんこ盛りで飽きない。編集仕事が大変だった時期で一気読みしたくなるのを抑えつつじっくり読んだ。
家庭料理の世界は、小林カツ代以前と以降でガラッと変わったのだという。それまでの非常識を常識にしたカツ代の功績は数多いが、発祥がカツ代だと知らない人が圧倒的とのこと。天才の仕事とはそういうものかとも思う。少女時代のカツ代と祖父との会話が軸になっている本文の締めがいい。冷やソーメンと春キャベツを食べたくなった。色んな読み方、読まれ方ができる一冊。
小林カツ代さんといえば肉じゃがだ。わたしは肉じゃが製作において、俗に「肉勝ち」「肉負け」と呼ばれる、味の経済格差をなんとかしたいと長年望んでいる。だが、相手にシャア専用飛騨牛グラム1500円級とかを投入された時点で、バトルにならない。
「下り坂ならハチロクだってGT-Rに!」とかとも思うが、相手が通常の3倍も速ければやはりどうにもならない。メキシコビーフのグラム200円級とかで闘わざるをえない貧乏人は、飛騨牛とか松阪牛とかにはぜったい勝てない。
この問題については、肉じゃが以外の人生の処世術についても同様だ。
これまでの人生において、正面から闘ったら必ず負けるのは火を見るよりも明らかな場合、わたしはインサイドワークを駆使して、レフェリーの目を盗んで反則すれすれの技をしかけてきた。場外乱闘へもちこんで東と西へ看板攻撃したりして、その場を湧かせるというベテランの味を発揮してきた。あるいは勝ち負けにこだわるよりも、観客の記憶に残る闘いを求めてきた。そんな我が生涯に一片の悔い無し。
でもいつかは明るいキッチンで飛騨牛で肉じゃが作ってみたい。
ところで学校で、マンモス校とは言え、ひとつの学年に「拓海くん」が8人だか9人だかいるというので、「やっぱ『頭文字D』の影響ですか!?」と意表をついたところ、「世代が違います。」と却下された。そうかなあ。ぜったい藤原とうふ店経由だと思うんだけど。
8人だか9人いる「拓海くん」は、皆さんわりとスポーツマンで活発で、かっこよくてモテているらしい。いいなあ。その子の人生の方向性は名前でかなりの部分が決まると、前から思っている。