昭和51年(1976年)春、当時小学校3年生のガキんちょだった私。とっても嬉しい出来事があった。それがダイワヤングフィッシングクラブの創立だ。ダイワ精工株式会社が組織する全国のキッズたちの釣りクラブだ。釣りが大好きなキッズたちにはたまらない。とにかく何かきっと楽しいことがあるに違いない。一瞬でわくわくどきどきの存在となった。
(釣道楽スタッフブログ 合言葉はラブフィッシュ!)
碧風舎の『釣道楽』編集人とわたしは同世代だが、「ダイワヤングフィッシングクラブ」の記憶がわたしにはまったくない。当時からそういうのは苦手だったのかもしれない。
でも、もちろん釣りキチ三平はわたしも大好きだった。三平くんは色々な釣りができていいなあ、三平くんよりオレの方が釣りうまいはず、と思っていた。
そんなある日「釣りキチ三平」コミックスの最新刊を買いに町へ出かけた。
本を自転車の前カゴに入れて「早く読みたいなあ」と思っていそいで走っていたら、新聞配達のカブと正面衝突して空を飛び、半月入院した。
退院後、脳外科病院へ頭の中の検査に行った。頭にたくさん電極をつけられてベッドに寝ていると、モニタを見ていた女医さんが「あら、脳波に異常がありますね」と言った。
いまわたしの頭がちょっとおかしいのはその時の後遺症だ。