「うーん、ぜんぜん興味ない」

音羽へ入稿に行ったかえりに銀座へ回り、「ニューキャッスル」でカライライス、「ランブル」でコーヒーをいただいて有楽町で「アバター」。

話題の3D映像は「ジュラシックパーク」初登場のときのびっくり度と似たようなもので、まあこけ脅しとしてもしても大したものだ。さすが米帝、カネのかけ具合の次元が違う。「実写版 釣りキチ三平」のVFXの泣きたくなるしょぼさが今さらながらにつよく思い出される。

「アバター」のストーリーのほうはどうでもよか。友情・努力・勝利の少年ジャンプものと思えば間違いはない。でもだったら「ワンピース」を観た方がましだ。自然の描写は宮崎駿そのもので早い話がパクリである。米帝映画の定石通り、あいかわらず主人公は勇敢で、女にモテて(相手は気持ちわるいナヴィだけど)、民衆をあっというまにアジテートして戦争に巻き込み、血みどろの殺し合いを繰り広げる。そして自分は死なない。

私の場合、こういう映画を観るといつもそうなのだが、カッコ良く戦いの指揮をとる主人公よりも、フスマのように銃弾で貫かれ、イモのようにヤリで串刺しにされ、ウンカのように爆弾に吹き飛ばされて、十把一絡げでごく当たり前に死んでゆく者として描かれる雑兵どものほうに心を寄せる。戦いの末に訪れる平和がいくら尊かろうと、死んじゃえばそいつはそこでオシマイだ。生き残った主人公が後からいくらきれいごとを言ったところで、それら無数の無二の死に追いつくものではない。それに敵には敵の平和がある。

この映画は5歳児に観せなくてよかったし観せたくない。5歳児が将来、ぼくは命をかけて大切なものを守るんだとか言い出したらどうしよう。殴ってやるかこのばかめ。なんだかもう今から腹立たしくなってきた。そんなわけで「アバター」終了。いずれにせよキャメロンが原爆を撮っても全然ダメだと思う。

映画館を出ると有楽町はすっかり暗くなっていた。「アバターもえくぼ」って100万人くらいが思ったんじゃなかろうかと思いつつ、阿佐ヶ谷「吐夢」へ。

カウンターのイスに上り、さっきアバター観て来たの、と言ったら「うーん、ぜんぜん興味ない」とにべもない。じゃあ、ってことで、阿佐ヶ谷に以前あった高級蕎麦屋「慈久庵」の慇懃無礼おばばの話にスイッチキャスト。客が一般人と有名人とでどれだけおばばの態度が変わったかの実例を挙げてゲラゲラ笑った。

たのしい夜だ。

映画公開時の撮影会