今日はなんだか自分が一貫していらついてると思ったら、朝いちに酔っぱらった状態で編集部へ電話をかけてきた方が発端だったと、今になって気づいた。
電話しながら自分のグラスに酒を注ぐのは勘弁してほしい。トイレの水を流す音を聞かせるようなものだと思うんだけど。わかるから。
去年刊行してお贈りしたうちの単行本を、「あれ読んでないんだ」とおっしゃったのが、いらつきの決定打だった。読んでないんじゃ話にならない。
才能あるのに、お酒さえ呑まなければ、いい人なのに。
でも、いらついたおかげで昼間の仕事ははかどった。感謝せねば。
こんな風にめずらしく自分がいらついてる時にかぎって、「ねえねえ、あのさぁ、要注意外来生物ってなあに?」と、おさかな図鑑を抱えたかわいい9歳児が聞いてくる。
いま、パパにそれ聞くか?
まず『魔魚狩り』読んできてくれるかな。お話はそれからにしようね。
9歳だろうが60歳だろうが、筋は通してもらわんと。
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[訂正] 上記中、「去年刊行してお贈りしたうちの単行本」を、「お贈り」していないというご指摘を受けました。調べたところ、発送ミスでした。たいへん失礼しました。「いらつきの決定打だった。」までを撤回します。(堀内)
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(前略)
ところでわたしは酔っぱらいが嫌いである。
新宿二丁目に事務所をおいてほとんどそこで寝起きしていた時期がある。二丁目のお友だちが毎夜ゾンビのように襲撃してきた。明日朝一番で入稿しなくてはいけない仕事を抱えている時に限って
「早くお店おいでよ。みんな待ってるよ。」
なんて低音の甘い誘いを繰り出してくる。夕方の忙しい際中に青筋たてて「はい!」と電話をとったら、
「今日お願い! 同伴してぇ。」
という男の声だったりしたことも何回かある。もちろんそんな誘惑やお願いは無視すればすむ。しかし当時は、釣りと二丁目からのお誘いは一切断らないのをテーゼとしていた。あほかと。
わたしはどちらかといえばまるっきり下戸である。
だからお店へ行ってもとりあえず形だけカンパイして、場の空気に楽しく酔いはするが脳内はいつまでも冷静なままだった。ボトルの中身はカウンターの向こうのお友だちのグラスにドクドクと注いだ。それなりになんかストレスがあったのだろう。
洞察力に長けた二丁目のお友だちは、わたしが本物の酔っぱらいではないことを、すぐに見抜いていた。いきおいわたしは、しばしばお店を看板にした後にベロベロになっている彼ら(彼女ら)の面倒を見ることになった。夜明けの救急士である。
彼らは、生き馬の玉を抜くような街を夜ごと命がけで泳いでいる人々だ。そんな彼らにとってただの流れ者でゲイでもなく、そのうちどこかへ行ってしまうが今はほぼ毎夜店に現れては小銭を落とすわたしはいい人で、それ以上にどうでもいい人だった。
わたしはベロベロに酔った彼らを仕事場へ連れて来て、水を呑ませ、、、
(つづく)
新刊『葛西善蔵と釣りがしたい』P28-29「お願い、同伴して!」より
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