伊藤桂一さんが亡くなられたという。99歳だった。もったいないことだ。
『釣りの風景』 (平凡社ライブラリー/芦澤一洋解説)、『水の景色』(構想社)、『釣りの歳時記』(TBSブリタニカ)所載「日曜釣り師のころ」、『兵隊たちの陸軍史』(新潮文庫)をおすすめします。とくに「日曜釣り師のころ」が好きです。
伊藤桂一さんの場合
詩人で小説家の伊藤桂一さんは、第二次世界大戦を題材にした作品群で知られる。『兵隊たちの陸軍史』は、陸軍の一兵卒だった自分の実体験とそこでの見聞をこと細かに記録した貴重なドキュメントだ。
日本軍の従軍慰安婦を論じるなら、岡本喜八監督の映画「独立愚連隊」とこの本に触れないといけない。男性、女性を問わず性を搾取する軍隊の絶望的な本質が伝わってくる。従軍慰安婦は必要だった、あるいはこれからも必要だ、と主張する人はよほど頭が悪いことが分かる。
二〇代を中国大陸の戦場で過ごした伊藤さんは、生きて帰ってきてからは釣りを人生の救いとする。水彩画のように淡麗な文章は、文庫本の『釣りの風景』(平凡社ライブラリー)でまとめて読める。
「ぼくはいろいろな釣場へ、いろいろな魚を釣りにいったが、いつのまにかヤマベ釣りを専門にした。どこでもいる平凡なこの魚が、ぼくには一番親しみが持てる。」(206頁)
解説の芦澤一洋さんは前掲『釣りとイギリス人』を引いてコースフィッシングを〝川の雑魚釣り〟と紹介し、伊藤さんの釣りは「まさにそのコースフィッシング、川の普通の魚を釣るもの」(247頁)と評している。
伊藤桂一編のTBSブリタニカ『釣りの歳時記』では、巻末の一章を「日曜釣り師のころ」という表題でご本人が担当している。そこにヤマベの毛鉤釣りの描写がある(289頁)。
「ヤマベを、毛鈎の流し釣りで釣るのは一般的な方法だが、ひところ私は、アユのドブ釣りと同じやり方で、ヤマベを釣っていたことがある。─梅雨も終わりに近づいていて、好天の日だったが、釣っているうちに、夕立雲がみるみるひろがってきた。そうして、あたりが暗澹とした気配に包まれはじめたある一刹那に、ドブ釣りの鈎に、ヤマベが必死に飛びつくようにしてかかりはじめた。─このときほど徹底して釣れたことはなかった。それにしても、魚というのは、なぜこれほども毛鈎に来るのか、考えてみればふしぎである。」
伊藤さんは遠征のできない日曜釣り師ゆえに、ヤマベ釣りを友としたと書いている。そうだとしても、人間を殺して死体を積みあげる戦争から生き残った人間は、大鑑巨砲主義の釣りよりも、素朴なヤマベ釣りに心ひかれるものかもしれない。
「釣りは、ふつう、たのしい遊びだが、沈んだ気分をまぎらすために、釣場へ出かける人も多いのである。この世で、志を得られないとき、自分で自分を慰める最良の手段として、釣りが残されている。釣りしかないだろう。」(『釣りの風景』32頁)
伊藤さんのホームグラウンドは、現在の東京都多摩市を流れる多摩川支流の大栗川だ。「大栗川のほとりで、ウグイスを聴きながら釣る、というそのことに、当時私はどれほど心身を慰められたかわからない。」(288頁)
護岸工事をされてしまったが、今も大栗川にはオイカワがたくさん泳いでいる。
(『フライの雑誌』第106号特集◎身近で深いオイカワ/カワムツのフライフィッシング「オイカワ釣りが好きすぎて」堀内正徳 より)
伊藤桂一さんは「この世で、志を得られないとき、」と書いている。
わたしの「志」とはなんだろう。