春がきて夏がすぎて秋になって、近所の子どもはあまり子どもじゃなくなってきた。去年までは「川行くか?」と聞けば、答えるより先にフライロッドを持ち出していたのに、この頃は「川行くか?」と声をかけると、こっちも見ないで「ん、大丈夫。」と返してくる。
わたしははじめ、その「大丈夫。」という言葉づかいが分からなかった。
厨坊になった近所の子どもにとって、同年代の友だちと街のゲームセンターに出入りして、UFOキャッチャーでごくつまらない景品を山ほど取ってくるのが、今はとても楽しいらしい。近所のおっさんと浅川で地味にオイカワ釣りをするよりも、だ。子どもの成長とはそういう日常の小さな選択の積み重ねであることはわたしも分かっている。
この子どもは周囲の環境もあって、保育園児のころから同世代よりも大人とつき合っているほうが多かった。ふだんの遊びをえらぶときも唯々諾々と周囲の空気に従う。子どもらしい駄々もこねないかわりに、あまり自分の好みを主張することもない。君はいったい本当はなにがやりたいんだい? と園児相手に問いただしたことが何回かある。
そういう主体性のなさが不安で、わたしは今まで約10年間、ことあるごとに近所の子どもをつかまえては、人生をしつこく説いてきた。いいかよく聞け、自分の人生は自分の意志で自分の居どころを見つけなければいけないのだ。保育園と低学年のあいだはこっちがしゃがみ彼を見上げて説教していたが、高学年になって少し屈むだけですむようになった。そして厨坊になってからは話しかけようとするとたいてい、「ん、大丈夫。」でスルーされる。
浅川に今年の秋風が吹きはじめた今月の始め、近所の子どもにまた「ん、大丈夫。」と言われたわたしは、ひとりで川へ釣りに来ていた。めずらしくちょっと苦労して1匹目のオイカワを釣って、水へ戻したときに、ふと気づいた。
「ん、大丈夫。」とは、最近の若い人がよくつかう、1ミリも譲歩できない絶望的な「それ無理。」を言いかえた拒否の表現なのだ。気をつかってマイルド風味にしているところが、近所の(元)子どもならではのやさしさなのだろう。一瞬、わたしは寂しくなってしまった。オイカワ釣りは人間を感傷的にする。
しかしすぐに立ち直った。甘い、君の考えは甘いぞ。
「大丈夫。」みたいな中途半端な意思表明では、彼がこの先の人生の大海を、ぎりぎりと切り拓いてこぎ進んでいくことなど、とうていできないのは明らかだ。次に近所の(元)子どもに会ったら、君はもっとイエスとノーをはっきり言いなさいと、きっちり説教してやろう。
今日は、半沈みくらいのほうがよさそうだ。わたしはフライが結ばれたティペットを噛み切った。その日はまっ暗になるまで釣りをした。
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