「トラウト・フォーラム・ジャーナル」編集後記

本誌に「ニジマスものがたり」を人気連載中の加藤憲司さんの次号用原稿を編集していて、かつてのトラウト・フォーラムの機関誌、「トラウト・フォーラム・ジャーナル」(TFJ)を資料写真で掲載する必要がでてきた。

仕事場の背後には、資料を十年以上も入れっぱなしの開かずの棚がある。今まで合計三回の引っ越しでなぜかゴミ箱行きをクリアしてきた。埃を吸いながらごそごそと漁ったところ、なつかしい「TFJ」の現物が出てきた。

1994年発行の「TFJ」第3号から、2000年発行の第18号まで。途中第9号、第11号、第15号、第16号、第17号が歯抜けている。棚をいくら探しても出てこない。さすがわたしの保存能力である。(TFJの9、11、15、16、17号をどなたか持っていらしたらコピーさせてください。フライの雑誌社のウェブサイトでアーカイブしようと思っています)

「トラウト・フォーラム・ジャーナル(TFJ)」は、TF会員有志からなる「TFJ編集局」が編集した。わたしはその一員だった。そのころ最新式だったAdobeのPageMaker(とっくに絶滅)でDTPで制作した。第3号の時点ではフォントが足りなくて、写植打ちを台紙に切り貼りして版下にした。この手法をデジアナと呼んでいた。懐かしすぎて背中がぞわぞわする。まあこうして改めて眺めてみると、クオリティはともかくたしかに自分の仕事ではある。

一時期はトラウト・フォーラムの会員数は千人を超えた。その広報の活動を通して、良いもわるいもほんとに色んな人間模様を見てきた。釣り業界の中身も存分に観察した。釣りだけして遊んでいる分には知らなくてもいい余計なことを知った。でもトラウト・フォーラムに関わっていなかったら、今わたしは『フライの雑誌』を作っていない。

トラウト・フォーラムの活動で意気投合した釣り仲間たちとは、ずっと変わらずつきあっている。いちばん信頼できる友人になった。

遺跡みたいなもの。
ポンペイの遺跡みたいなものだ。
第6号(1995)の編集後記。21年前、すでに発行日が遅れる言い訳をしていたことが判明。そっち方面はこちとら筋金入りだ。
第6号(1995)の編集後記。21年前ですでに発行日が遅れる言い訳をしていたことが判明。こちとら筋金入りだ。
第10号(1996)の編集後記。虹別の丘の上でパトカーに捕まったのだった。思い出して腹が立ってきた。ところで「ニジます」って誤植だ。なさけないぞおじさんは。
第10号(1996)の編集後記。虹別の丘の上でパトカーに捕まったのだった。思い出して腹が立ってきた。ところで「ニジます」って誤植だろう。なさけないぞおじさんは。
第12号(1997)の編集後記。おまえ生意気言ってるんじゃないよと、20代のわたしに小一時間説教してやりたい。
第12号(1997)の編集後記。おまえ生意気言ってるんじゃないよと、20代のわたしに小一時間説教してやりたい。
第14号(1998年)の編集後記。北海道で釣りしていたら、ウインストンの9フィート・3ピースのティップ側がどうしても抜けなくなった。仕方なく2ピース状態でアメリカへ送ったら、とんでもない送料がかかった。あほである。
第14号(1998年)の編集後記。北海道で釣りしていたら、ウインストンの9フィート・3ピースのティップ側がどうしても抜けなくなった。仕方なく2ピース状態でアメリカへ送ったら、とんでもない送料がかかった。あほである。