〈昼あんどんの急ぎ足〉(大岡玲)
数年にわたって釣具メーカーの広報誌に連載したあと、ずいぶん長い間本の形にまとめることができなかった文章が、このほどようやく上梓できる運びになった。タイトルは、『文豪たちの釣旅』。発行元は、「フライの雑誌社」という小さな出版社なのだが、
大岡玲さんのブログ〈昼あんどんの急ぎ足〉から。自著新刊『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社刊)に3・11をかさねあわせた最新エントリーのタイトルは、「周五郎の溜息が聞こえる」。周五郎とは山本周五郎のことだ。
3・11以降の世界へ向き合うことはたやすくない。それゆえに目を見ひらき息を呑んでも、こらえて向き合ってこその表現者だ。愚直な真摯の果てに表現の意味が見えてくる。
世界のすべての地域を、もうこれ以上「こんなに」しないよう、声をあげつづけること。まったく無力で何の効果もあげえない、という絶望感に苛まれても、とにかく黙らないこと。
この末尾の一文に、作家のふかくしずかな覚悟をみる。
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さてさて、『文豪たちの釣旅』では、大岡さんが日本の文豪14人の描いた釣りと旅の味わいぶかい作品世界をご紹介しながら、みずから釣竿を手に作品の舞台を巡ります。
文豪たちとの楽しい旅路のなかにふと人生の切なさを想うときもある。でも基本的には不用意に入った湿原に足をとられてマンボNo.5を踊りしかもお魚釣れない(佐々木栄松「カムイの輝く光を浴びて」157頁)というような、たいへん楽しい一冊です。カムイが食事中ならときどきご飯を吹きます。
こんな時代に釣師でいつづけるのは、考えれば考えるほどにタフなことです。しかし、であったとしても、であるがゆえに、釣師は釣師でいつづける業の深さを捨て去ることができない。その点、表現者と釣師には共通点があるのかもしれません。『文豪たちの釣旅』でもたしかそこらへんへの言及が・・・。
お待たせしました。大岡玲著『文豪たちの釣旅』はいよいよ来週発売です。