「海の『守り人』論―徹底検証 漁業権と地先権 」を再読(?)する

『フライの雑誌』最新第102号掲載の〈日本釣り場論74 「DJ法」、「スポーツフィッシュ回復」の運用実態等について 米国における釣り振興制度の実態調査レポート〉(櫻井政和)へは、実際に水産行政へ携わっている方からや、複数の読者からの反応をいただいている。

「DJ法」については、ブラックバス害魚騒動のときに、バス釣り師がタダでバスを釣るのはけしからん、アメリカみたいにDJ法を導入せよ、という立場の人々の論拠にされものの、その実「DJ法」の中身よくわかんないんだけど、というようながっかり状況が、今日まで続いていた。それは水産行政をしきる水産庁の内部でもまったく同様であった。

今回のレポートで初めて、ごくふつうの釣り人に分かるようなかたちで、アメリカのレジャー・フィッシングの〝管理システム〟が明らかにされたと言っていい。もちろん、その内容に対する賛否は分かれるに決まっているが、中身を知らないことには議論にもならないわけだ。

というようなことを踏まえて、単行本「海の『守り人』論―徹底検証 漁業権と地先権」(浜本 幸生 (著), ケビン ショート (著), 熊本 一規 (著), 水口 憲哉 (著)/まな書房・れんが書房新社/1996年初版)を手にとった。わたしの記憶によると、この本は小社編集部の本棚へ、ずーーっと以前から刺さっていた。わたしが今の立場になった10数年前に、勉強しとこ、っと思ってたしかにこの手でページを開いた記憶はある(うそじゃないです)。

今回、赤ペンを片手にちきちきちきと読み進めたところ、10数年前の自分の読解がいかに表層的で実感的になんにも分かっていなかったを思い知った。むろん現在だって本書の記述の半分くらいはわけ分かんないのではあるが、赤ペンの入った箇所は多かった。おそらくあほはあほなりにそれなりの経験をかさね、そして2011年のパラダイムチェンジと個人的な開きなおりを経た結果、本書のなかのフレーズがこころに染み込んでくる実存として今ここにあるということだろう。

読書体験とはそういうことだと思うし、本を残すというしごとは、自分ではないだれかにこういう体験をさせる可能性をつくる種まきなのだろう。

今年成立した「内水面漁業振興法」の内実と今後の行政的展開について、次号第103号で記事にしたい。水産庁へ取材をするにあたって、「海の『守り人』論」をこのタイミングでしっかり読んで現段階での理解をかさねたことには、意義があった。

明らかにつっこみが違ってくる。

本書のテーマである海と内水面との違いはあるが、釣り人が釣り場と自然に関わるスタンスを自分で測る意味で、根本となる発想はかわらない。漁協のとらえ方、漁業権の機能などたいへん勉強になった。

あとはこういう、岩よりもお硬く、目先のライズしているマスを釣るにはなーんの役にも立たない記事に、本誌の読者がどれだけ興味を持っていただけるか。あたりまえだが『フライの雑誌』は学術本ではない。読者にそっぽを向かれたら、読みたいと求めてもらえなければ、発行が続かない。第102号の〈日本釣り場論74〉への読者からのご支持をかんがえるに、たぶん大丈夫だと思う。

ここらへんのテーマへ興味を持って、くそまじめに誌面化する商業誌は『フライの雑誌』しかないはずだ。自分にも与えられた役割があるのだろうと思って、あほなりにがんばります。

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『フライの雑誌』第102号|日本釣り場論74
『フライの雑誌』第102号|日本釣り場論74