この号が出たら全部忘れて一人で川へ行こう。
わたしの場合、フライフィッシングの本を作ることと自分自身のフライフィッシングとは、リンクしていない。わたしは最近トシくったせいか多少現実肯定派になってきた。いまの自分の精神環境はすごく幸せだと勝手に思っている。
『フライの雑誌』の第40号(1997)の特集「釣り人の職業」(この特集はわたしが企画した)へ、わたしも大好きだった西山徹さんが寄稿してくださった。当時、トラウト・フォーラムの代表だった西山さんが、「金もうけもあまり興味ないので、そこそこに食えて、楽しいフライフィッシング生活ができればいいと思っているんです。」と書いていたのを覚えている。
いまのわたし的には、金もうけにはあまり興味がない。というより、金もうけしたくてもできない人生を選んでしまった。ことは諦めている。それはそれとしても、締切前に半月くらい編集部に缶詰めになって、寝不足が延々つづく地獄を込みで、自分も楽しいフライフィッシング生活をやらせてもらってますよと、天国の西山さんへ半ベソかきながら報告できる。もうすぐオイカワ釣りも始まるしね。
あともうひとつ、同40号の釣り場時評で、水口憲哉さんが特集テーマを受けて、「釣りと仕事の関係について考える」という面白い文章を書いている。
大切なことは、釣りの楽しめる仕事は何かを探し求めることではない。今やっている仕事を釣りが楽しめるようにどう変えてしまうか、さらには、釣りと仕事が区別のつかないものにしてしまうことだろう。後者の見本が島崎憲司郎さんだと思う。ちがったらごめん。
(単行本『魔魚狩り』62ページに収録)
「ちがったらごめん」という水口さんのこの見方が、本当に「ごめんなさい」にあたるのどうかについて、これまで島崎憲司郎さんから言及されたことはなかった。『フライの雑誌』の次号第108号特集◎シマザキ・ワールド15で、島崎憲司郎さんがそのあたりについて語ってくれているように、わたしには思う。
果たして水口憲哉さんは、ごめんなさいするのか、それとも、20年越しでピースサインするのか。
次号の特集◎シマザキ・ワールド15をどうぞお楽しみに。