『フライの雑誌』85号を発行しおえたので、

桂川と編集部を往復するだけの毎日である。こんな生活をしていれば新型インフルエンザに罹患するリスクはほぼないと言いきれる。肉体的にはきわめて健康だが、釣れないので精神は悪化の一途をたどっている。

日曜日はIWAジャパンプロレスリング(Iジャ)の新宿大会へ行ってきた。新型インフルはこわいけれど、Iジャの15周年記念大会とあればどうしても行かざるを得ない。Iジャの興行にここ10年以上通っている私は、その間のIジャの栄枯盛衰をつぶさに見てきた。

近年は後楽園ホールで定期興行できないほどに観客動員が落ちてしまったIジャだが、「栄」とか「盛」の文字がふさわしかった時期もあった。一時期は武道館でやったろか、というくらいの勢いだった。当時は、誰もが名前を聞いたことのある古今東西の有名ガイジンレスラーと、個性的すぎる日本人レスラーたちが、なぜかIジャに集結してきた。新日本プロレスや全日本、ノアなどのメジャー団体にはありえない、Iジャ独特の強烈な磁場があった。

Iジャに通う観客は、メジャーどころのプロレス団体のファンとは明らかに一線を画した雰囲気をかもしだしている者たちが多い。彼らは世間の常識が通用しないプロレス的論理さえも通用しない、十重二十重にネジ曲がったIジャ的異次元に巻き込まれることを喜び、誇りとしていたのだと思う。私のような生来のへそまがりにはIジャはまったく居心地のよいプロレス空間だった。当時のIジャはプロレス雑誌から「Iジャ劇場」とか「新宿2丁目劇場」と呼ばれていた。もちろんお日様の当たる劇団四季とかじゃなくて、まっくろ暗黒系のそれである。タコはきほんてきにはタコツボが好きなんです。

15周年大会がおこなわれた日曜日、会場の歌舞伎町新宿FACEには、会場入りを待つ観客が長大な列を作っていた。おもわず係のお兄さんに「これプロレスですか?」と聞いてしまった。それくらい、ここ数年のIジャではありえないほどの動員数だった。超満員札止めだったそうだ。興行内容は、Iジャの古いファンにはもう尻の穴がむずむずして宇宙へ暴発してしまうくらいのノスタルジアと歓喜、そしてサプライズに満ち満ちていた。何よりうれしかったのは、過去に様々な事情でIジャを出ていった(裏切ったり、切られたり)選手たちがこの日ばかりはノーサイドで、プロレス好きの小学生みたいに生き生きと試合していたことだ。水を得たさかなみたいだった。その水が観客席に飛び散った。

興行が終わったあと、新宿駅まで私は胸を張って歩いた。バッタのような頭をした不健康そうなホストたちの群れをかき分けながら、私のこころは晴々として愉快だった。「明日からもがんばろう」と思った。この気分がプロレスの醍醐味である。これがある限りプロレスは死なない。

フライフィッシングにはぜんぜん関係ないので、興行の内容は書きません。興味のある方は(いないかもしれないけど)以下のリンクをごらんください。

15年の重み

ZERO1~IWA JAPAN