1965年創立『環境新聞』さんの4.1付号書評欄「環境図書館」に、フライの雑誌社刊『宇奈月小学校フライ教室日記』が大きくとりあげられた。ちょっと長いが引用する。
黒部川のほとりで、フライフィッシングにハマッた子供たちと「ガッコのセンセ」の悪戦苦闘が綴られる。けれど、たくましく駆け回る子供たちと大自然とのぶつかり合いを期待したら、肩透かしに終わる。「くらしが少しばかり自然に寄り添っているだけで、一人で山を歩ける子どもはいない」と少し頼りない。
それならなぜ、この本をとりあげたか。
1990年代、中流の出し平ダムが排砂ゲートを開けた。大量の濁水が富山湾に流れ込んでゆく映像を覚えている人も多いだろう。子供たちは当事者として、自分たちの川が破壊されていく様子を目の当たりにさせられた。これほど生々しい反面〝教室〟はない。彼らがどう感じ、どう動いたのか。そして大人たちがどう「動かなかった」のかがよく分かるからだ。たとえば、子供たちは濁流を「絵の具を全部混ぜたよう」だと表現する。悪臭にまみれた河原で、「もう間に合わないのではないか」と悩むセンセの前に、浮き袋を持ったアズサとリョータが「これで川下りをするんだ」と現れる。
「そうだな、川とのかかわりを止めてしまわなければ大丈夫だ。」『川は死なない』の章は、そんな言葉で締めくくられている。
まさにこのように読まれてもらうことが本書を発行した側のよろこびだ。たいへんうれしい書評をいただいた。こうして少しずつ思いは伝わっていく。