川崎生まれの都会っ子が、妻の実家の宮崎県高原町へ、Iターン移住。いつのまにか「釣りと狩りを仕事にする人」になっていた。──
単行本『山と河が僕の仕事場|頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから』(牧浩之著)は、おかげさまで発刊以来、多くの新聞書評、テレビ番組にとり上げられました。ブログやSNSでもたくさん話題にしていただいています。本当に感謝しています。
著者の牧浩之さんが〈職業猟師+毛鉤釣り職人〉となって5年がすぎようとしています。南宮崎のゆたかな山と河を舞台にして、やりたいことはどんどん増える一方です。地元の人々との交流が深まることで仕事の場も広がっています。自分の暮らす地域のためにもっと役立ちたいという気持ちから、あたらしい挑戦も始まりました。
『山と河が僕の仕事場』から、第3章◉いつのまにか職業猟師「命をいただきます」を紹介します。職業猟師という初めての世界へ足を踏み入れたばかり。いのちと真正面から向き合う戸惑い、新鮮なおどろきと感動が伝わってきます。
『山と河が僕の仕事場』は、今年中に続編を発行予定です。毎日が発見に満ち、自然と人とが親密にふれあう、山と河を駆けめぐる暮らしの最新版です。あなたの知らなかった扉がきっと開くでしょう。どうぞお楽しみに。
(フライの雑誌社 書籍編集部)
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第3章|いつのまにか職業猟師
命をいただきます
猟銃所持を申請する
ツクツクボウシが鳴き始め、秋の気配を感じ始めた9月の上旬。僕は十数枚もの書類を持って、地元の警察署に出かけて行った。猟銃を持つための最終段階である所持許可申請のためだ。
最初の猟期が終わってすぐ、猟銃所持にむけて動き出していた。猟銃を使った狩りは第一種銃猟免許があれば行えるが、猟銃を所持するには狩猟免許とは別に公安委員会の許可が必要だ。
猟銃の所持許可申請を行うには、講習を受けて筆記試験に合格した後、教習射撃を受講してさらに射撃場での実技試験に合格しなければならない。銃の保管設備もあらかじめ備えておく必要がある。最初の申請から許可に至るまで諸々含めて費用は10万円近く、加えて厳しい審査に半年以上の時間がかかる。大変な申請作業だった。
それでも何とかがんばれたのは、やはり師匠の大形さんの存在だ。
「弟子ができたって喜んでいてね。鉄砲はもうやめるって言っていたんだけど、弟子ができたから許可の更新しなくちゃって、はりきってたのよ。」
僕が狩猟免許の試験を受けると決めた時、大形さんは体調をくずされて大変な時期だった。それにもかかわらず弟子の僕を連れて一緒に山に入ろうと考えていてくれたという。その話を後で奥さんから聞いた僕は、失礼を承知でお願いした。
「もしできるなら…。大形さんが愛用していた猟銃を譲っていただけないでしょうか。」
大形さんが愛用していた罠や猟銃を欲しがる人は多かった。でもありがたいことに、師匠の形見の猟銃は僕のところにやってきてくれることになった。
僕が毛鉤釣りに色々な鳥の羽根を使うことを知っていた大形さんは、自宅の敷地でキジを見るたびに、「猟期になったら浩之くんに獲ってやらんとな。」と奥さんに話していたそうだ。
〝わたしは獲ってやれんかったから、自分で獲りなさい。〟
師匠がそう言っているような気がした。
まだ狩猟を始めてから2シーズンなのに何年もやってきたような気がする。罠猟が忙しかったり軍資金不足だったりと、色々あって時間がかかってしまった。ようやくここまで来れたと思うと自然と目に涙が浮かんでくる。
獲物は許してくれない
僕は自分で狩猟を始める前、大形さんが捕獲したシカの解体を何頭も手伝った。
最初は腹を開いて出てきた内臓の臭いに息が止まり、見た目もグロテスクだと感じた。驚くというより気持ちが少し引き気味だったんだろう。横たわるシカへナイフを入れながら、戸惑いを見せた僕に師匠が言った。
「こうやって命をいただいて、人は生きているんだよ。だから肉を無駄にするのは、自然に対して失礼なこと。動物だけじゃない、魚だって野菜だって、みんな生きているでしょ? あなたは我々が捨ててしまう獣の毛皮を有効に使ってるんだから、大したものだと思うよ。だからと言って獲物が許してくれるとは思わないけどね。」
現代社会において薄れていく〝いただきます〟の意味が、何となく分かった気がした。
獲るという行為から命に向き合うなら、自分の中でもっと深く納得できる。
そう感じて、師匠に教わりながら自分でも狩猟を始めた。
僕が初めて獲物を仕留めてから今まで、必ず欠かさないことがある。獲物にとどめを刺すと、少しばかりの米と塩、酒を供え、榊を挿して山の神へ感謝の気持ちを表す。最初の〝いただきます〟である。
獣を猟する方、家畜を飼育する方、食肉処理に従事し、精肉して「肉」にしてくれる方たち。それを調理して食卓に上げてくれる家族。肉を口にするまでには〝いただきます〟という言葉が、何度も出てくる。
近年、狩猟者を増やそうと、国や行政も関わって各地で色々なイベントが開催されている。狩猟人口が増えるのはいいことだ。しかし個人的には違和感を感じることが多い。
僕はまだたった2シーズンしか猟期を過ごしていないけれど、狩猟というものは気軽に始めるようなものではないと感じている。
獲物が獲れた先には、本当に大変な作業が待っている。獲物はすぐに放血処理を行い、場合によってはその場で内臓を摘出する。森から搬出して車に積み込み、肉が痛まないうちに解体する。剥いだ毛皮や摘出した内臓は、家庭から出る一般ゴミとしては捨てられない。
住宅密集地での解体作業は、臭いや残滓など衛生面の観点から禁止されている場合も多い。狩猟行為中はもちろんだが、狩猟後にも守るべき点が多い。環境が整っていないとなかなか難しい。
それだけではない。狩猟は獲物の命を奪う行為であり、仕留めた獲物に対して、どれだけ向き合えるかという点が大事だと僕は考える。獲った鳥獣の肉はもちろん、できることなら毛皮、羽毛などをできるだけ利用する姿勢が狩猟には必要不可欠なんじゃないだろうか。
大物を仕留め、笑顔で記念撮影、あとは埋めて終わるのはただの殺戮でしかないと思う。
農家の役に立ちたい
罠に掛かったシカを軽トラに積み込んでいる時に、猟師さんに話しかけられた。
「あれ、若い人だねぇ? もしかして剥製作ってる牧さん?」
毛バリ用の材料を作っていること、自分は剥製のように難しいものは作れないことを説明した。
「いやぁ、それでも毛皮をなめせるんだろ? すごいじゃないか。もうシカ掛かったのか? 早いねぇ。」
高原町でも猟師の若手不足は深刻な問題だ。そんな状況もあってか、地元猟師の皆さんには、まるで息子のようにかわいがってもらえる。顔を合わせると罠を仕掛ける時のコツを教えていただく。先輩が自作した剣鉈や、罠をいただいたりすることもある。
罠に掛かった獲物は逃げようとして暴れるうちに、掛かった脚の肉がうっ血して食肉にはダメになってしまう。だから肉が多く取れる後ろ足ではなく、前足に罠を掛けるのが猟師の腕だ。
前足に掛かっていたなら、最初の一歩で踏ませたことになる。シカの歩幅の見立てと、罠の設置場所の選定が正しくできている証拠だ。そんなことも先輩猟師さんたちに教わった。
「あの辺りにはイノシシがようでっぞ、デカイのもいるから掛けてみ。」
猟場を教わったりと、狩猟をやっていく上で、先輩猟師さん達の存在は大きい。
畑に種をまいたらカラスやハトに全部突っつかれた。芽生えた牧草を一晩にしてシカに食い荒らされたり、サトイモやサツマイモの畑をイノシシにほじくり返され、すっかり食べられた─。
鳥獣被害のことは狩猟を始める前から知ってはいたが、実際の被害は想像以上にひどいものだった。高原町でも野生鳥獣による被害は著しく、中でも増えすぎたシカに悩まされている話をよく聞く。
ある日、畑の横の農道にとめた軽トラから獣道を眺めていたら、農家の方に声をかけられた。
「ずいぶんと若ぇ猟師さんだなぁ、どこの人だぃ?」
この畑の持ち主の農家さんが、見慣れない僕に声をかけてきてくれた。
僕は罠を掛ける際、私有地ならもちろん地主に了承を得て、立ち会ってもらい、畑が荒れない場所を相談しながら罠を掛ける。農家の役に立ちたいから、食害が出ている場所を意識して仕掛けることも多い。
自分の狩猟スタイルを説明し、仕事でシカの毛皮を必要としていること、高原町に移住してきたいきさつなど、自己紹介も含めてしばらく話し込んだ。
東京で学校を出て働いていた妻を、妻の出身地である高原町へ、逆に妻を説得して連れて帰ってきた上、婿入りまでした。この話は地元の方たちと打ち解ける、僕の最大の武器といっていい。
「おぉ、そんなら、練習がてら獲ってくれよ。もうシカが出て困っとるんよー。」
シカの被害に悩まされている農家にとって、猟師はありがたい存在でもある。一頭獲れば警戒して、群れはしばらくその場所へ近づかなくなるからだ。
僕のような初心者でもありがたがられるくらい、シカによる食害はひどい。
「お隣さんも困ってるみたいだから獲ってやってよ。」
こうして次から次へと猟場が増えていく。猟場周辺の農家の方たちとは、すっかり顔なじみだ。気軽に誰かと触れあえば、そこから繋がりがぐんぐん広がる。
町で会えばどこで農作物に被害が出ているか教えてくれるし、知り合いの畑で獲って欲しいと頼まれることもある。時期が近づくとこんな電話もかかってくる。
「今年もイノシシに荒らされてっからよろしくね! できりゃシシ肉を食べたいけど、お前さん追っ払ってばかりで獲らんからなぁ。被害防ぐからいいんだけどよ。まぁシカ肉もまた食べたいわ。」
獲物が罠に掛かれば、きちんと精肉した肉をおすそ分けする。全然臭みがなく、シカ肉がこれほど美味しいとは知らなかったと驚かれる。味を知った農家の方から、シカ肉はまだかとせかされることもある。
シカが掛かっても持ち帰るのは毛皮だけなんて日もある。獲ったシカがダンボール一杯の野菜に化けることも多い。狩りを通じて地元の方たちとの繋がりが広がっていくのがうれしい。
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