・・・サクラマスのうち、川に残るものがヤマメである。海に降りたサクラマスが大きく育って帰ってくるのに対して、ヤマメは渓流で小さいまま成熟し産卵する。それらの中間の大きさで、渓流と海の間すなわち大川の河口域までの本流域で獲られる魚すなわち─ヤマメとしては大きくサクラマスとしては小さい魚は、不思議な存在である。
渓流に比べて海は空間というかスペースが大きく、エサとなる動物も多様で量が多い。エサを食べて成長するのに大きく影響する水温も、海の方が渓流に比べて変動が小さく、より高い場所を選択できる。大川や本流はそれらの中間の条件を備えているわけだ。
結果として渓流と海の狭間で成長するサクラマス(ヤマメ)の到達する大きさも体長三〇センチ前後と、サクラマスとヤマメの中間となる。この中間型サクラマス(ヤマメ)を釣り人は、大ヤマメ、本流ヤマメ、銀毛ヤマメ、偽銀毛、戻りヤマメ、戻りマスといろいろに呼び、その素性をいろいろに考えている。
この中間型の存在は、河川残留型のヤマメと降海型のサクラマスが分化する原因、歴史、仕組みとも関係してややこしい問題である。生活史との関連から中間型を二つに分けることができる。・・・(『桜鱒の棲む川』内「戻りヤマメとは何か」水口憲哉より)
発行直前になって押し込んだ緊密スケジュールのため、今回の台湾調査は二泊三日の強行軍となった。成田を飛び立ち台北国際空港から台北市内へ着いたのは、先週木曜日の午前一時だった。ここがサラマオマスの棲む地か…。私は大きな感動を持った。よし、がんばって調査(釣り)するぞ! まずは腹ごしらえだ。
足を踏み入れた台北市内は深夜にもかかわらず、大変なにぎわいを見せていた。台湾の名物は夜市と屋台である。そこでは多種多彩な小吃(シャオチー:軽い一品料理)が供される。安くておいしい小吃を町のどこでも気軽に食することができるので、庶民の外食率はとても高いとのことだ。人々は夜がふけるにつれ、小吃をほんの小銭で買い求めてはその場でぱかぱかとたいらげ、わあわあと大声で騒いでどんどんボルテージを高めて盛り上がっていく。なんだかとっても楽しそうだ。
私は子どものころから買い食いが大好きだ。小学校校門の前の「あきばやさん」の常連で、お小遣いの行き先は買い食いか釣り具に決まっていた。「あきばやさん」のおばさん─たぶん名前は「あきばさん」─の手のひらに渡す10円玉の感触を忘れない。
おばさんの店にはめくるめくような駄菓子があふれんばかりにならんでいた。口の周りが真っ赤になるいかにも体に悪そうな「ふ」とか甘酸っぱい「いかくん」とか袋詰めのくさい「チーズあられ」とかを食べているときは、恍惚であった。ただしすもも飴は苦手だった。あれはおいしくない。あまりの激しい買い食いをみかねた親からしばらく買い食い禁止令を受け、それはそれは哀しかったことを切なく思い出す。
行動が自由になった大人になってから買い食い癖はさらに亢進した。とくに釣りの行き帰りで巡り会うそれぞれの土地の名物の食べ物は、釣りの楽しみを倍増させてくれる。高級な食材に興味がないわけではない。食べたくないといっては嘘だが高級なものはそうそう食べられないし、その土地でごくあたりまえに食べられている安くておいしい独特の食べ物に、ふとしたきっかけで出会うのが好きなのだ。よくある「B級グルメ食べ歩き」のような自己顕示的で貧相な趣味とは、根本的にスタンスが違うことを強調しておきたい。
たとえば「秋田のババヘラ」。あれは正直そんなにおいしくないが私の秋田への遠征時にはかかせない。田舎道の脇にパラソルといっしょに突如現れるおばあさんからアイスキャンデーを買うこと自体がたまらなく楽しい。アイスそのものはこの場合二の次である。いつぞやの夏は山奥の国道を上っていくコーナーごとにおばあさんがつまらなそうに座っているので、いちいち車をとめてアイスを買わねばならず大変だった。大人の買い食いはエトランゼの感傷である。
話を台北に戻す。(つづく)