『水生昆虫アルバム』まえがきと渚ようこさん

『水生昆虫アルバム』(島崎憲司郎著/フライの雑誌社刊)のまえがきを途中から。

◆料理というのは妙なもので、材料さえ良ければ必ずおいしいとは限らない。逆に、ソコソコの素材でも本当に旨く食わせてしまうテクニシャンもいるのであって、このあたりも大いにフライの方と共通するところがある。と、断言するのは、僕の場合、これでも30年近くプロの料理人(の端くれ)でありつつ、またフライフィッシングの方にも相当ノメり込んで来た人間だからだ。今は包丁一本の世界からはすっかり足を洗って、釣り三昧の気楽な渡世となったが、こういうアウトサイダーの身になって振り返ってみると、なおさら二つの世界の共通項が分かる。

◆あるいはすでにお察しの通り、本書の内容は教科書的な水生昆虫学とはかけ離れた部分が少なからずあるので、本式の専門家が眉をひそめるページもさぞや多いと思われる。でも僕は、自分の世界に正直でいたい。それによってお歴々からお目玉をくらうぐらいは何のその、僕は地元の釣り仲間や全国の根っからのフライフィッシャーに共感してもらうことの方がよほど嬉しいし、そのあべこべではこの種の本の場合、最悪である。

◆人間誰しもいつかは必ずあの世行きになる。これだけは例外がない。なら、生きているうちに自分の好きなことを心おきなくやっておきたい。そうして「フライフィッシングをやってよかった、実に面白かった」と笑って死にたいものだ。

◆花形アイドル歌手ではなくて場末のクラブ歌手を目指したいと言った渚ようこに僕は拍手したい。「おじさんが『フライの雑誌』に書くのもそれと同じなんだよ」と。

島崎憲司郎

『水生昆虫アルバム』まえがきより

以前も本欄で紹介したことがあるが、初読のときからこの文章はわたしの心につよく刺さっている。島崎憲司郎の釣り、生き方、社会へのスタンスのすべてが、たった見開きの文章に凝縮されている。「まえがき」だけでも『水生昆虫アルバム』を手にする価値は充分ある。

「まえがき」の最後に、唐突なように、渚ようこさんの名前が出ている。

島崎さんの芸能、音楽の知識は超一流だ。色川武大が拍手しそうな、なにかの見事なシマザキ流のタンカバイを電話口で聴いた幸運に恵まれたことがあるのはわたしの自慢だ。島崎さん自らもフラメンコギターの名奏者であることは広く知られている。

それでも『水生昆虫アルバム』初版発行の1997年の時点で、自身初の大著のまえがきに「渚ようこ」を出してくる島崎憲司郎の感覚と眼はおそろしい。千手先の詰みを読みきって仕込んでいる棋士のようである。

そうと思って『水生昆虫アルバム』まえがきを読み返すと、まさにこれは今から大道に見世を開こうという芸人の、肝を据えた前口上そのものだ。シンプルな文章の向こうに凄みのある笑いが透けている。興味があるなら寄っておいでなさい。あなたになら分かるでしょう。さあどうぞ。

第103号の編集時、『フライの雑誌』編集部には渚ようこ「ゴールデン歌謡」「魅力のすべて」がヘビロテされていた。今年12月号の『本の雑誌』のスエイさん特集にも渚ようこさんのご近影が掲載されていた。で、つい先日、YouTubeで新しい映像を発見した。横山剣さんとのデュオが素晴らしい。

渚ようこさんの最新映像です。

「まえがき」
「まえがき」
奥は『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』第2版第2刷(売切れ)。中は『新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』。手前のイラストは『新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』特別付録の島崎憲司郎描きおろし巨大曼荼羅。
奥は『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』第2版第2刷(売切れ)。中は『新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』。手前のイラストは『新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』特別付録の島崎憲司郎描きおろし巨大曼荼羅。