『葛西善蔵と釣りがしたい』書評をいただきました|安藤忠雄で地蔵になる

先週、サンデー毎日をめくっていたら、<「超自然的なもの」を重んじてこそ日本人>と題された文章にゆきあたった。
池内紀の文章である。
読み進めていくと、小泉八雲の子孫には代々、不思議がおこるという記述があった。
八雲の再生譚の一つ「勝五郎の再生」の舞台は八王子中野村(現・中大八王子キャンパス)で、そこから二キロほど離れた日野市程久保で勝五郎は前世を過ごし、中野村で生まれ変わったという話である。
輪廻転生。
江戸時代に平田篤胤が、生まれ変わった勝五郎や家族から直接、聞き取り、書き残しているらしいのだけれど、八雲の話はそれを土台にしているのであろう。

その八雲の子孫・小泉凡が日野市の郷土資料館で勝五郎の生まれ変わりの話をしたら、前世の勝五郎の子孫が今も健在であることが判明したらしい。
「再生者の子孫と前世の子孫とが、仲良くお墓参りをした」と池内の文章は締めくくられているのだけれど、池内の文章では脈絡がよく掴まえられないところがあり、さてどうしたことかとこんがらがった考えをほどこうとしていると、『葛西善蔵と釣りがしたい』を思い起こしたのであった。
著者の堀内正徳さんは日野に住んでいる。
そういえば金子さんも日野に住んでいるなぁ。
 日野つながりのたあいない連想なのだけれど、でも、それだけでもないのだ。
<「超自然的なもの」を重んじてこそ日本人>という池内の文章のタイトルと、頭の片隅に残っていた「釣りを通じて人と自然のかかわりを考える」という堀内さんが編集しているフライの雑誌社の出版方針がオーバーラップしたからでもあった。
「超自然的なもの」と「人と自然のかかわり」がぼくの頭の中でせめぎあいはじめるのであった。

ところで、堀内さん自身のことばでとても香りのよい一文があって、「自分は臆病で利己主義でへそまがりで、根っこは釣り人だ。いつでも川へ帰ることのできる人生がいい」というものがあった。「いつでも川へ帰ることのできる人生がいい」という下りはとても意味深で、好きだなぁ。
「帰る」ということばにいろいろな意味を感じてしまうからなのだろう。
自然としての川や、超自然としての川や、川にはいろいろなものが沈んでいる。流れてもいる。

全身で水の謀反を夢見けり

荒縄を解くと夜は水である

ベナレスの水と交わり 水に帰す

などという句をひねっては喜んでいる愚生には水へのつよいこだわりがあって、それが「いつでも川へ帰ることのできる人生がいい」という堀内さんのことばに琴線をぼろぼろんと爪弾かれてしまったのだろう。
 
それにしても、東洋の絵にでてくる釣り人の描写は「静か」だと思う。
その影響か、ひょっとしたら、堀内さんが毛鉤で釣上げようとしているのは山女や岩魚の中に潜む「静謐」なのかもしれないなどとも思えてくるのだけれど、そこまで言うと嘘っぽくなるのを感じながら、でも、『葛西善蔵と釣りがしたい』にでてくる喫茶店の女性も八百屋の亭主も焼き芋屋のおっちゃんもとても静かに読み手であるぼくのこころに沈潜し、居ついてしまっているのである。
そして、どこまでも静かなのだ。
なぜなのだろう。

若い頃、新宿二丁目のオカマさんさんたちに呼ばれれば、(ノンケとして)どこまでもつきあった。宴の後の白々とした時間帯にまでもつきあった。酔っ払いの介抱をし、後始末をした。でも、今、もうそんなことはできない、と堀内さんは綴る。
酒池肉林の後の朝、白々とした倦怠の時間に嫌気がさして仏教に帰依するようになったインドの王子の逸話があるけれど、堀内さんが釣り上げようとしている静謐はきっとインドの王子が悟りへの道に入る直前に見ていたものと重なるものなのかもしれないと、そんな風にも思えてくるのであった。

『葛西善蔵と釣りがしたい』のいくつかの文章にはエッセーという範疇をするりと乗り越えてしまっているようなところがあって、堀内さんの<捨てきれない文学的魂>を感じたりもするのだけれど、こってりと書かれているわけではなく、さらりと余白からこぼれてくるのでもある。
そんな余白のあり方に感心したりするのだけれど、その底にはひん曲がったり、ふてくされたり、欠伸したりしている物語が燻っているのではないか。
きっとそうだ。
でも、それを口にしてはいけない。
『フライの雑誌』の発行人であり、編集者として活躍なさっている堀内さんに、「あなた、本当は小説が書きたかったのと違いますか?」などと口にするのはとても失礼なことなのかもしれない。
とまれ、「帰っていく川」の内実を、いつか、堀内さんは開示することになるのだろうか。

そんなことを考えていると、そういえば、清志郎や友和は日野高校を出ているなぁと、そんな他愛もないことを思い起こしてしまうのだった。

清水愛一さんが『葛西善蔵と釣りがしたい』について書いてくれました。清水さんは、むかし池袋にあったコジマさんの店で知り合った、ふるくからの飲み仲間です。自分の本のことなので恥ずかしいですが、とてもとてもありがたい書評をいただいたと思います。清水さんに了解を得てここに転載します。「インドの王子」とか「捨てきれない文学的魂」とか「静謐」とか「帰っていく川」とか、『葛西善蔵と釣りがしたい』の書き手に似つかわしくない感じですが、俳人である清水さん独特の言語感覚と言えます。そのあたり清水さんの人物を知っているわたしにはわりと腑に落ちます。

コジマさんの店のカウンターで清水さんと並んだ夜に、歳上の清水さんがわたしにかるく激高したことがあります。わたしは20代のなかばでした。たぶんなにかの議論の弾みで、わたしが生意気でつまらないことを言ったのでしょう。清水さんはわたしに、「それでは君は、安藤忠雄が〝なんとかかんとかはなんとかかんとかである〟と言ったことをどう思うのか!」と詰め寄ってきました。

ところが残念ながら安藤忠雄を知らなかったわたしは、唐突に提示された固有名詞を前に、地蔵になってしまいました。「その人誰ですか」と聞く素直さは持ち合わせておらず、会話はそこでおわりました。清水さんごめん。しかもわたしは頭が悪いために肝心な「なんとかかんとかはなんとかである」のフレーズの中身も、朝になったら忘れました。あとで清水さんに聞き直そうと思いつつ、何となく恥ずかしくて会うたびに毎回聞きそびれます。

ですが、いまだにあの夜の清水さんが興奮して、自分の前髪を息でふーっと吹いていた横顔は、はっきりと覚えています。調子づいている若者にはああいう夜がいくつも必要と思います。コジマさんの店はそういう夜だらけでした。

清水さんはご自身ではフライフィッシングをしないのに、フライの雑誌社の出版物に関心をもって読んでくれます。『フライの雑誌』もすみずみまで読んでくださって感想をくださいます。清水さんは『フライの雑誌』にわたしが書いている、コジマさんの店を舞台にした「みいさんに会いに」についても、ありがたい書評をくださいました。そちらも近々に紹介します。

清水さんに次に会ったら、今度こそ「安藤忠雄のなんとかかんとか」はなんだったのかについて、聞きます。きっと覚えているはずです。

清水さんのFacebookから
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