うれしいことがあった。

今朝、飼育ケースのふたを開けたら裏にカブトムシがはり付いていた。腐葉土の表面がカビてしまったので幼虫はサナギになる前に土の中で死んでしまったとばかり思っていた。生きていたんだ。

子どものころ私は毎年夏になるとカブトムシの幼虫を育てていた。しかしことごとく失敗して途中で殺した。要は面倒をみすぎるのだ。

土に水分が足りないだろうといってはヤカンの水をぶっかけて溺死させたり、逆に水分がありすぎるかもといってはドライヤーで乾燥死させたり。サナギになるためには土が硬くないといけないといって上から幼虫ごとぎゅうぎゅう押し潰したり、そろそろサナギになったかなと掘り起こしては角を折ったり。

それらは面倒をみていることにはならないと今なら分かる。なので今回は飼育ケースをセットだけしてあとはなるべく見ないようにしておいた(それでも霧吹きしすぎてすこしあぶなかった)。

面倒を見すぎてけっきょくサヨナラする構図は、人間相手でも何回か経験している。相手にとって私の〈面倒〉は、ただの大きなおせっかいか余計なお世話で、うるさくなって遁走していく。遁走された夜に高田馬場のACTミニシアターへ行き、川島雄三の映画をひとりで観て全然笑えなかったのがつい昨日のことのようである。

まあいいや。今年の夏はカブトムシのいる夏だ。しかもオス。