おさーん通信 vol.17

おさーん通信 vol.16 から続く


「兵隊が戦場生活を六年七年とやってくれば、家郷や肉親知己を恋うような甘い感情は消失する。彼が考えるのは、できるだけいい死場所で、いい死に方をしたい、ということである。」(兵隊たちの陸軍史/伊藤桂一)

いまDTP禁止にしたらほとんどの「グラフィックデザイナー」が失職するんじゃないか。

今号は準備と作業を早めに始めたところ、地獄がいつもより長くつづいただけの結果におわりそうな予感。そしてまだゴールは見えず。

パクリが横行するのはDTPだからだ。自分で線を引けないなんちゃってデザイナーを駆逐するために、ロットリングと版下の復活、ベジェ禁止で雲形定規、ロゴの入稿は清刷り限定!(ああ、わたしが困る)

一昨日は新宿末広亭。柳好、ザ・ニュースペーパー、談幸、小遊三、ボンボンブラザーズ、昇太敬称略。ザ・ニュースペーパーさんはオバマネタ。2020年の未来新聞はバカ受け。小遊三さんよかった。

本誌執筆陣唯一でおそらく最後の手書き原稿用紙の先生からのファクス原稿をタイプ中。原稿二枚目の途中で三枚目に飛ぶ指示があり、三枚目から六枚目まで続いた後に、二枚目の残りの十行を挿入する指示がある。凡人にはわけ分からない進行。でも通読するときっちり論理だっている。おそろしい。

本にも書いたけど、わたしは集団でわーわー騒ぎながらバス釣りする人々がすごく苦手。ていうかキライ。でもバス釣りは好きだし、だれでも釣りを楽しむ自由は守りぬきたい。

外来種云々だけじゃなくて釣り人はもっと勉強しないと、これから先あっという間に世の中の大きな波にやられちゃう。せめて内水面の漁業権の仕組みくらい勉強しようよ。とくにバス業界の人。

もしアベ首相が「私にもオイカワ釣らせてくださいよ。」と言ってきたら「なにを。帰れ帰れ!」と一喝すると前から決めてるのだけど、なかなかそういう機会がない。

年々ややこしく剣呑になる世の中だから、ここはあえてまるで莫迦みたいに釣りしていれば、平和のかけがえのなさを伝えられるんじゃないかなと思ったりして。

そこらへんの公園の池で釣りができるようにする継続性のある運動こそ、公益をうたう釣り団体が政治力使ってやるべき仕事だと思う。釣りイベントの方が花火的に手離れいいのはよく分かるけど、釣りは花火じゃない。

「外来魚を駆除せよ!」と拳を振り上げる人には、「あなたの言う外来魚の定義とは何ですか?」と落ち着いて問いかけるのが民主主義だろう。ああ、めんどくせえ。

「外来魚を釣る釣り人は日本人じゃない、非国民だ、国益を損ねる売国奴だ」という論調がその内でてくると思う。

釣り業界団体の人がよくやる「はじめての親子釣り教室」みたいなイベントを否定はしないけど、ほんとに釣り人口増やしたいんだったら、そこらへんの公園の池を釣り解禁にしてもらう運動のほうが、ずっとずっと効くと思う。でもそういうこと提案すると「予算ないから無理」って言われる。

14歳の春「釣りキチ三平」最新刊を本屋で買った。本を自転車のカゴに入れて全速力でこいでいたらカブと正面衝突、記憶消失、長期入院。脳外科の美人の女医さんがモニタを見て「あら脳波に異常があるわ。」と言った。あれから30年以上たったがわたしは元気。拾った命を何に活かそう。まだ悩み中。

子供の頃は安心安定のNHKみたいに思ってたけど、今や最も信用ならない玉音放送局だ。

いよいよ届いていない原稿が一人だけになった。わたしのだ。

斉藤ユキオさんから次号のイラストが届いた。すごくいい。急きょ台割り組み直して目立つところに持って来た。わたしの特権。次号でなんと連載99回目。

さいきんのグラファイトロッドはなんでこんなに妙な色が多いんだ? こんなの個性じゃない。かっこわるいだけだろ。

ファミマの「ヨーロピアン フライドポテト」、まったくおいしくない。~_~;

「後ろから前から」は1980年の畑中葉子の名曲だったが、今日のオイカワ釣りは「ドライでもウェットでも どうぞ」といった感じだった。たいへんサービスがよかった。

安倍氏が馬鹿でよかった。あれで頭キレる男だったら、今ごろとっくに憲法九条なくなってる。

最後の原稿が届いた。自分の原稿だ。疲れてるしうまく書けたかどうか自分じゃ分からない。編集者欲しい。でもくだらない赤字入れられたら、わたしキレる自信がある。

力あわせなくていい。声をそろえなくていい。てんでばらばらにずっと言い続けるのがつよい。「ひとりひとりは弱いぼくらも、みんなの力を合わせれば」とか言うのはそれファッショ。官僚上がりがほくそ笑むだけ。

わたしが高校生のときは高校生なりに社会の欺瞞に腹を立てていたけど、「高校生ががんばってるんだから大人もがんばって」という発想は皆無だった。「ぜんぶ消えて失せろ」と思ってた。

市立体育館の壁に2020東京五輪の話題のエンブレムだけでっかく印刷したB1ポスターが貼ってあって、みんなが指差して笑ってるという、すごい光景でした。

みなみらんぼうというのは妙な名前だなあと思っていたが、A.ランボーからとったのか!と釣りに行く途中の中央道で先週気づいた。みなみらんぼう勇気ある。

「試合に先立ちまして国歌斉唱。ご来場の皆様は起立脱帽の上、正面の国旗にお向かいください」って言われた。直後にわたしのお腹が痛くなって便所へ。カツラは外さなくていいんですかね。車椅子の人もいましたけどね。

子供のとき国語の点数だけはよかった。出題者の意図を忖度するのが得意だったと同じ意味だ。「どうせこういうことを書かせたいんでしょ」と大人が喜びそうな回答を書けば高得点。嫌な子なほど高得点を与える科目ってどうなの。

佐野研事務所からインターネット回線とりあげて、そのあと出てきた作品なら、安心安全。

なんとなく自民党を支持するような人が、世の中にはたくさんいるというのが事実だ。

「未成年の身体を金で買うという自民党・武藤貴也議員の利己的な振る舞いに、国会議員としての資質を問う声」

創刊編集人にとって雑誌は自分の子供だけど、後継編集人にとっては親みたいなものだ。自分の代で休刊するのはそりゃ嫌だ。誰だって親ごろしは嫌だ。

「ギャランドゥ」の作詞作曲もんたよしのり、タイトルに意味はなしと、40数年間生きてきて今朝初めて知った。あんなに気合入れて連呼する必要はなかった。

0数年前、西新宿滝沢の会議室に釣り人が集まったとき、某上場フライメーカーのしゃちょさんから、冗談半分風に金銭絡みで侮辱された。あのとき薄ら笑いで流すしかできなかった自分にはいまだに反吐が出る。逆にエンジンになったので、しゃちょさんには感謝したい。

安倍と橋下と佐野研ネタにはもううんざり。

赤城大沼のワカサギは直近で47〜63ベクレル/kg。食べる、食べないは個人の自由。

細川護煕日本新党→小沢一郎新進党→江本孟紀フロム・ファイブ→鳩山内閣官房副長官→民主党除名→日本維新の会→維新の党幹事長→維新代表→維新分裂→民主党復帰。松野頼久さんの主体性のなさと言ったら。

世の中は色々たいへんだけど、今日の楽しかったオイカワ釣りを思い出して風呂でニヤけた。

東芝が決算いくらちょろまかしても不適切会計だけど、零細が少しでも申告間違えると速攻で税務署飛んできて重加算税。

まれ初めて観た。常磐貴子さんがばあちゃん、田中裕子さんがひいばあちゃん役やってるの見てショック。そんな時代かと。

毎号の編集締め切り間際は必ず死にそうになって、次こそはもう少しうまくやろうと思うんだけどやっぱり死にそうになるのを、ふと気がついたら今年で12年くり返してきているので、学習しないっつうか、わたし死なないような気がする。

デンチの切れたKindleほど使えないものはない。やる気のないおっさんのようだ。

「東京五輪の仕事に憧れて俺がデザインしてやった完全オリジナルのエンブレムだけど、五輪の成功のために取り下げてやるよ。メディアとばかなネット民のせいだアホんだら」。って言ってるのが佐野研氏の昨日のコメント。権力べったりのリア充は強いな。

子どものころに憧れていた本の著者の最近の言動を、こっちが大人になってSNSで触れて、「あの人はこんなにばかだったのかー」と知るがっかり感ったらない。

きわめてごく一部のたわけ者のために、釣り人全体が悪く見られることもある。たいへん迷惑である。サクラサーモン? なさけない。

元有名人の老人が無知と自己顕示から自分の違法行為をネット上でひけらかした。それはたしかに愚かだけど、「あほばか」「おまえだれだ」「誰これ」「老害」とかもうほんとに集中砲火されている。ちょっと気の毒。だけどご本人は「これはイジメだ」とか言って全然よく分かってないという。

高市早苗ごときにわたしの鼻毛の数を知られてしまうとは無念だ。

鈴木大地さんが以前毎日新聞に連載していたコラムは、あからさまにニッポン万歳体質むき出しだった。アベ政権にはぴったりだろう。舞の海でもよかったんじゃね?

最近、初めて会った人から「あれれ、意外と若いんですね。」って言われなくなった。

この世でもっとも恥ずかしいもののひとつが素人のラップだ。

マル暴の話題が出てくるたび、『魔魚狩り』を出版した10年前に「おたくの出版社は反社会的行為(バス釣りのこと)を煽動するんですね!」と、新聞記者から電話で難詰されたことを思い出す。産經新聞に反社会的と言われる筋合いはない。

昨今の社会情勢と人々の行動と、自分との関わりについて色々思うところはあるのだが、基本わたしは偏屈な釣り人なので、人間が多いところが苦手なのは仕方ない。

学校の先生は校長のことを隠語で「社長」と呼ぶらしいが、初めて実際に自分の耳で聞いた。校長が社長なら教員は社員で、じゃあ児童はなに? 就職させてねえよ。

いつのまにか世の中はリアル1984だなあ。

ふだん川なんか見ていない人に限って、ちょっと川が増水すると、やれ大雨こわいだ、やれ氾濫するとたいへんだ、やれ護岸が弱いだ、やれハザードマップがどうだ、やれスーパー堤防だと騒ぎたがる。うるさい。

釣り友達と今朝のアキアジ釣りについて電話で話してる際中、急に向こうの声のトーンが変わって丁寧語を操りはじめ、早々に電話を切った。お客様ご来店のようだ。

若いころ、気になっていた女の子に「どんな音楽が好きなの?」と聞いたら「ボンジョビ!」と即答され、二の句が継げなかった。今でも少し心残りだ。

精魂こめて編集発行した一冊一冊の本を、自分のマイルストーンと考えるか名刺と考えるか墓標と考えるかで、ぜんぜんニュアンス違ってくる。わたしの場合は「脱渓点」くらいか。

三陸から届いたホタテに徳島のスダチを絞り、オホーツクで釣られたサケを焼いてイクラと一緒に新潟のご飯でいただいた。死ぬほど幸せな夕食だった。ふだん社会派ぶってるくせにな。わたしのことだけど。

開き直った密漁オヤジ、確信犯の嘘つき政治家、舌だけ滑らかな狡猾役人、過去の栄光にすがる元芸術家などは、タチが悪いものです。

「どげんことあっても、けんかはならんばい。弱きを助け、強きをくじくこそ、侠客たい。どげんこつあっても、けんかはならんぞ。それが母ちゃんへのいちばんの孝行ばい。よかね。」(望郷子守唄 高倉健)

普段は寄稿者さんへ「もっとこんな感じで、あんなことも」などとエラそうにお願いしてるくせに、自分が書くとうまくいかない。

「佐野るな危険!」って誰かもう言ってる?

サードウェーブのカフェとやらに行ったら、MacBookを立ててる若い娘さんが3人、おしゃれなカップルやグループが3組、あとはかっこいい個人客と、リア充の巣窟そのもの。全然落ち着かず早々に帰った。大げさな焙煎機のわりにちっとも美味しくなかった。

君の人生だからどう生きようと君の自由だが、小数点と分数の割り算くらいはできた方がいいと思うんだよ。と、勉強しない小学生を説得する。

ふりかかった不幸の最中にある方へ釣り雑誌なんか無力だ。でも脳天気故に元気づけてあげられることもあると思っている。

最新号の納品日明けは、配送先間違い、冊数間違い、納品もれ、伝票間違いなどミス発覚の総合商社状態。お客様から電話が鳴るたび挨拶代わりに「なんか間違えてましたか!?」と聞く。

デモに一回行くと警察はこっちを守るものじゃなくて向こうを守るものだってことがよく分かる。

老化が忍び寄って来ると言うが、最近わたしも老化に忍び寄って来られていると実感する。忍び寄ってんじゃねえよ老化。

みんながそれぞれ勝手にフライフィッシングでもしてれば、世界は平和だ。

あのころの日本はとにかく勇ましかったですよ。 確かに勇ましいのは気持ちがいいです。 戦争もその勇ましさが引き起こしたんですよ。(人生をいじくり回してはいけない 水木しげる)

今日の明け方は編集部の近くの土手の上で仲間たちと横に並んで、川へ向かってバンブーロッドの振りっこをした。もう死んでしまった人もいて、いつまでも竿を振っていた。夢かうつつか。夢でもいいや。

月曜日の国会議事堂前では、都営バスの中で安保反対のプラカードを掲げ、窓から群衆へ穏やかに手を振って通りすぎるご婦人がいらっしゃったそうだ。陛下みたいじゃん ⁈

国会議事堂前デモ規制の機動隊に、ヘルメット、盾、安全靴、マフラー、乱闘服の5点セットを装備させていないのは、向こうもよく考えてるなと思う。

何万時間の議論を尽くしたところで納得できないものは納得しない自信がある。そんなわたしが間違って権力握ったら絶対専制君主になる悪寒。

レスラーとしてのアントニオ猪木は神だけど、政治家猪木はくそ。

先週の国会前では、最前列に押し出されちゃった天然系のおかんが、柵守ってるお巡りに「帰りたいんですけど地下鉄の駅どっちですか」と聞いたら、「あの角を右に曲がって…」と親切に教えてくれて周囲の喝采を浴びてたそうだ。でももうそういうほのぼのエピソードないから。

人工飼育した動物を撃ち殺すcanned huntingが問題なら、養殖魚を放流して釣り獲るプット&テイクも問題になっていいが、釣り雑誌の人が突っつくことじゃない。あとcanned huntingにはどうしても機械伯爵の人間狩りを連想する。

音量バーが消えて久しかった年代物のiPhone4Sが今夜突然復活して、高らかに清志郎を謳いはじめた。明日きっといいことある!



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