ものすごい崖の途中をトラバースする格好で小径が渡っており、そこを通らないと向こうへは行けない。自転車に乗った私が恐る恐る崖下をのぞき込むと、はるか彼方に海が白波立てて荒れ狂っている。高低差2000メートルはあるだろう。
ふと気がつくと、古民家の囲炉裏端でしゅんしゅんとお湯が沸いていて、前髪を眉毛の上で切りそろえた切れ長の眼を持つ女の人が、私にお茶をいれてくれているところだ。やけに’80年代風な髪型だなと思ったら、私が20年前にフラれたミカちゃんではないか。マヌカンって言うんでしたよね。
「あなたをずっと待ってたのよ」。ミカちゃんがにっこり笑った。にしてはあの時急に電話に出てくれなくなったのはなんで、とは思うが、もう20年も前のことなので今さら蒸し返すのも男らしくないよな。
どうやらあの崖は「ならさわくずれ」と呼ばれているらしい。私はなぜかこれから、その「ならさわくずれ」を自転車を担いで登らなくてはいけないことになっている。そうすれば村を救えるらしい。ミカちゃんも喜んでくれているようだ。だったらいいか。「じゃあ行ってくるよ」。私は立ち上がった。土間に立った私にミカちゃんがカチカチと火打ち石を鳴らしてくれた(すげー)。
ふと気がつくと、私は直径3メートルはある巨岩に蜘蛛のように抱きついている。体の下は空、そして海だ。自転車はどこへ行ったか分からない。あごをあげて上を見ると、崖の頂上は果てしない雲海に隠れて見えない。私が抱きついているのと同じような巨岩がぼこぼこと崖の途中に生えている。「巨岩累々」という単語が脳裏にひらめいた。ひらめいたからどうということもないけど、と自分で思っている。
ぐずっ、というイヤな音がして、はるか上方の岩が崩れた。初めは小さく、次第に大きな岩を呼び込んで、結局全面的な崖崩れに発展した。「ファー!」という単語がひらめいたがだから何だというのだ。私は巨岩に抱きついたままゆっくり崖から剥がれていった。
「まあ夢だし。この時期はこういう夢見るの仕方ないんだよね」と、私は余裕をこきながら、真っ逆様にそのまま2000メートル下の海へと落下していった。ミカちゃーん、と小さくつぶやいてみた。
『フライの雑誌』次号用の原稿がまだ全部まとまっていない。とっくに出ているはずの新刊単行本『海フライの本2』の原稿もまだ出きっていない。ほんとに信じられない。