「あんな記事どうでもいいし。」
と、某氏に言われた。私はこれでしつこくて引きずる方で、ほぼひと月前に言われたこの言葉について、ココロの端っこの方でずっと考えていた。だからメモしておこう。
私の胸に刺さった小骨は、「どうでもいい」という表現だった。なにかの才があるかもと感じていた某氏から出た言葉だったから残った。どうでもいいとは何だろう。某氏にとって『フライの雑誌』関連のウェブに載せたその記事はどうでもよかったのかもしれないが、じつはけっこう他の方からは個別の評判はよかったりする。感じ方は人それぞれでむずかしい。
どうやら某氏はさいきんの『フライの雑誌』の本誌をあんまり読みこんでくれていなかった気配だ。ココロが貧しい編集者は敏感なのである。『フライの雑誌』の本誌や単行本を手にとってくれないウェブだけのお客様には残念だがあまりお相手できないのは実際のところだ。
今どき釣りの専門誌のしかもフライフィッシングの冠をつけた同人誌くずれの『フライの雑誌』は、社会一般の規範からすればまさにどうでもいい立ち位置にある。ただそれを作っている側からすれば意味のない記事は一本もないし創刊以来の筋をぶらしたこともない。
むかしから私はどうでもいいことが大好きだった。右に行けば三ツ星シェフの白ナプキン、左に行けば貧乏神どもがこだわりの食材を持ち寄った大宴会だと聞けば、少し迷って左の道を行く。そんな経験はしてないけども。
どうでもいいことがザクザク切り捨てられていくばかりの現代社会であえてどうでもいいことに固執して体張ってみるのは、怯懦で狷介な私の性格にぴったりである。文化ってそもそもどうでもいいことから生まれるものでしょ、なんて言うひとがいるが、そこは物欲しげなこと言ってやがると虚勢をはりたい。
メモおしまい。それこそどうでもよかったな。