1960年代から70年代にフライフィッシングを志した新し物好きのおっさん(当時は若者)たちは、フライフィッシングにまつわる情報を自分で探した。日本国内で入手できる情報はきわめて少なく、しかもしばしば間違っていた。
おっさんたちは自ら人柱となって幾多の苦渋をなめてきた。彼らの一部がいまだに「敷居が高いのがフライフィッシングである。」などとおごそかにのたまうのは、ただの40年越しのルサンチマンにほかならない。
わたしは、その世代よりは少し若い。それがゆえに、フライフィッシングを始める上では若い頃に予算面において相当苦心した。最初の頃は、鯉スレばりを手持ちして羽根バタキをむしり、ミシン糸で毛バリを巻いていた。だからつい、今でも「初心者は悩んで苦しんでそれでも這い上がってきて一人前じゃわい。」と思ってしまう。
「いまは安くていい道具がいくらでも手に入るからいいねえ。」とか、「教えてくださいなんて甘えん坊ですか。」とか、「釣りなんか人に教えてもらうものではありませんよ。」とか、叩こうと思えばいくらでも憎まれ口を叩ける。本心を口にしないほどにはオトナなのがいやらしい。
ただ、実際にわたしが、フライフィッシングを始めたばかりです、というような人と会って一緒に釣りをする機会があると、そういういやらしさは微塵もでない。皆さんから「今日は楽しいです。」とか、「親切なんですね。それに分かりやすい。」とよく言われる。
とくに若い人と女性には、とても受けがいいことを強調しておきたい。(えらそうなおっさん相手には氷のように冷たいらしい)
わたしは本当はとってもいい人だ。釣り竿をにぎっている時は。二重人格なのかもしれない。
これも釣り師の生きる道である。