ル・クレジオのノーベル文学賞受賞のニュースを聞いて、Sさんのことを思い出した。読書好きがこうじて4年もだぶっているSさんは、その文学的知識において圧倒的な質量を持っていた。紅顔の新入生なぞにはほとんど崇拝の対象だったが、フランクで面倒見もいいので慕われていた。ただ、Sさんには困ったくせがあったのです。
あるとき、新入生KくんがSさんに尋ねた。
Kくん「あのう、井伏鱒二を読もうと思うんですが、何から読めばいいでしょうか」
Sさん「一代目? それとも二代目?」
Kくん「えっ、井伏鱒二って二人いるんですか」
Sさん「なんだお前そんなことも知らないのか。『黒い雨』までが一代目井伏鱒二、『黒い雨』から後は二代目井伏鱒二だよ。だって井伏って太宰の先生だぜ。途中で代替わりしてるに決まってるじゃん」
またあるとき、Nくんが尋ねた。
Nくん「あのう、ハードボイルド系で一番有名な作家は誰でしょうか」
Sさん「なんだお前そんなことも知らないのか。そりゃお前、チャメットに決まってるだろう」
Nくん「(数日後)あのう、チャメットが見つからないんですが」
Sさん「…あ、ごめんごめん、チャンドラーとハメットだった」
このときはSさん、ふつうに間違えていたらしい。
さらに、Mくんが尋ねた。
Mくん「あのう、ル・クレジオの代表作といえばなんですか」
Sさん「なんだお前そんなことも知らないのか。なんといっても『洪水』三部作だろうな。『大洪水』『中洪水』『小洪水』ってあってだなあ。」
そこからSさん、『洪水』三部作の素晴らしさについて滔々と語りはじめた。
Wikiなんてなかった時代の話だ。Sさん、元気だろうか。