なんでこんなに面白いんだろう

ヘンタイ釣り雑誌を編集している立場上、釣り、とくにフライフィッシングのもつ麻薬性はわりと見聞きしているほうだ。釣りさえしていなければ、まっとうな社会人としてその生涯をすごしただろう人々の実例に、多数接してきた。

性格がよくて、気持ちもいい。能力もある。しかし、なによりもフライフィッシングを優先してしまうがために、社会から自ら弾き出てしまうことを全然いとわない。それだけがあなたの決定的で不可逆的で残念なお知らせですね、という人々だ。

『フライの雑誌』をおもしろがって、読んでくれたり協力したりしてくれる人々の、現世からのドロップアウト率は、計測するまでもなく高い。フライフィッシングさえ知らなければいい人だったのに、という読者や書き手は多い。

わたしはなんだかんだ言って20年近くも『フライの雑誌』にかかわっている。20年の間には、フライフィッシング絡みで人の道を外れたきり戻れなくなって、そのまま短い人生を終えた方の姿も数名観察してきた。彼らにとっては、それはそれで楽しい人生であったようだ。

わたしはそういう彼らを反面教師としてきた。〝ああいう流れには巻き込まれないようにしよう。ああいう人にはならないようにしよう〟と、自分のこころをいましめながら、これまで生きてきた。

猛獣つかいが猛獣になったら猛獣に食われる。ミイラ取りがミイラになってはミイラを集められない。おまえはあくまでヒトなのだよと、日々言い聞かせている。

今日の夕方も、編集部の目の前をながれているあさ川で、ひとりでハヤを釣っていた。校了してから毎日釣りしている。校了する前もほぼ毎日釣りしていた。

午後6時すぎに短パンの水着を履いて、Tシャツ姿で川へ入った。見上げる土手の上は、犬の散歩のおじいさんや学校帰りの中学生、仕事帰りの老若男女の皆さんが、歩きや自転車で右に左にいききしていた。世間様は今日もいそがしいようだ。

お気に入りの竹竿を手にもって、あさ川の流れを上へ行ったり下へ行ったりした。昨日もあさ川へ入ったのだが、昨日の釣りはじつはちょっと納得がいかないものであった。今日はあたらしい毛バリを巻いて、新しい試みの釣り方でやろうと思って準備していた。

20ヤード先の狙ったライズリングをめがけて雪虫のようにふわりとフライをおとし、1、2、3でライズ、水音を立てずに竿のグリップの中でラインを張ってフッキング、遠くのラインの先でくんくんくんと生きものの気配がする。というイメージ通りの釣りを味わっているうちに、あっというまに時間がすぎた。

むきだしの太ももに、川の水をつめたく感じるようになった。気がつくとあたりは夕闇がすっかりおちて午後8時近くなっていた。名残は惜しいが、もうそろそろ帰ろう。

今日の釣りはわりと満足だった、でもできれば明日はもっとここらへんをなんとかしたいよね、という自分なりのテーマを胸に残しつつ、フライリールにラインをカリカリカリと巻き取った。

そこでなにげなく、とつぜん、自覚した。

平日の夕方に毎日川へ来て、きたないすね毛を出した短パン姿で水につかり、小さなハヤをたくさん釣ってひとりでニヤニヤしている中年のおっさんが、自分だ。

そしてはじめて思った。

ひょっとしてわたしも人の道を外しているのかと。

上等やないか。

「ヤマメを釣って放すだけなのに、なんでこんなにおもしろいんだろう」と、前に桂師の松井さんが言っていた。こんな小さなハヤを釣って放すだけなのに、なんでこんなに面白いんだろうとわたしも思う。釣り方がフライフィッシングだからだろう。
「ヤマメを釣って放すだけなのに、なんでこんなにおもしろいんだろう」と、桂師の松井真二さんが以前言っていた。こんな小さなハヤを釣って放すだけなのに、なんでこんなに面白いんだろうとわたしも思う。釣り方がフライフィッシングだから、なのは間違いない。フラット・グリップ。
12,3センチのハヤでも流芯でかけると竹竿がしっかり曲がってくれる。ラインは2番。
12,3センチのハヤでも流芯でかけると小気味よく曲がるわたしの竹竿。ラインは2番。バックキャスト一発で15ヤードを無重力状態で運べる。
このブロックのあいだから5、6匹出てきた。
このブロックのあいだから5、6匹出てきた。
これも人生だ。
これも人生だ。ウインドノットができている。
第102号の発送準備は進めています。ご安心ください。
校了してから毎日釣りしていますが、第102号の発送準備は進めています。ご安心ください。
ヘンタイ釣り雑誌とその仲間たちが手招きする 人生の脇道 葛西善蔵と釣りがしたい 釣り人なんてどうせはなから酔っぱらいである。
ヘンタイ釣り雑誌とその仲間たちが手招きする
人生の脇道 葛西善蔵と釣りがしたい
釣り人なんてどうせはなから酔っぱらいである。