「…何も釣り雑誌が原発のことをとりあげなくてもよかろうと思われるかもしれないが、これはそれで済まない。…狭いわが日本には、すでに33基もの原発が動いている。東京を考えると、200キロほどのところに2カ所もある。これがもしアレしたらどうなるのか? キャッチ・アンド・リリースも自然保護もヘッタクレもない。すべてパーだろう。いち釣り人としては震えるばかりである。まっとうな釣りができない世界など生きる価値がないでしょうに。本誌2号発行もホントに多くの方々に支えられました。以降ガンバリで応えます。(中沢)」
季刊『フライの雑誌』第2号(1987年8月15日発行)の編集後記に、小社創業者で創刊編集長の中沢孝(故人)が、このように書いてから24年。日本の原発は55基に増えた。原発よりもさらに放射能をまき散らす六ヶ所村再処理工場の計画も止まっていない。
3.11、東京から200キロほどの距離にある東京電力福島第一原発が、本当にアレしてしまった。恐ろしい全地球的な放射能汚染が現実となった。そればかりか、人類の生存すら脅かされる事態がいまなお進行中だ。正直、ひどすぎる現実から目をそらしたい。「これくらいの放射能なら健康に影響なし」と国の発表を信じたい。信じられるものならば。
ことこうなれば、たしかにキャッチ・アンド・リリースも自然保護もヘッタクレもなくなった。〝まっとうな釣りができない世界など生きる価値がない〟。まったくそのとおり。事実、福島原発周辺の美しい渓流は放射能に汚染されてしまい、釣りはもとより人間が立ち入ることさえできない。釣り人としてはガックリ生きるのを止めてしまいたくなっても仕方ない。
しかしどっこい、釣り人はひじょうにしつこい。釣れなくても釣れなくても釣れなくても、この次こそは釣れるはずと、失意の底に希望の未来を探したがる究極の楽天家である。バカとも言う。
であるならばバカはバカなりに、現実をまじまじと見つめよう。観察はフライフィッシャーマンのお得意である。なにがどうしてどうなって、だれがうそをついているのか、真実はどこにあるのか。しつこくしつこくしつこくあきらめなければ、きっといつかは涙が出るくらいに、最高の釣りを楽しめる日が来る。
…かもしれない。
さて、ずいぶん予定が遅れてしまった。あれもこれもどれもそれも昨日自分が中禅寺湖で釣れなかったのもみんな原発が悪い。目の前の仕事をすすめます。次号第93号の特集は「東北へ行こう!」。まったくすばらしく〝バカ〟な原稿が集まりました。発行日もあきらめない。