わたしの身のまわりにはめんどくさい人が多い。その理由を整理して考えてみた。
その1。わたしはごくふつうのめんどくさくない人である。だけどめんどくさい人のことをなんの因果か好きなので、ここまでの人生でめんどくさいのを選んでつき合って来た。だから、めんどくさいのが身のまわりに目立って多くなってしまった。
その2。わたしは少しだけめんどくさい人である。トンキン竹を割ったようなまっすぐな人とつきあうと、自分のめんどくささが浮き立って辛い。そのため一緒にいるだけで爽快になるような素敵な人とは距離を置いてきた。だから、めんどくさいのが身のまわりに残った。
その3。わたしはとてもめんどくさい人である。めんどくさくない人は、当然のようにわたしを避ける。気持ちは分かる。だから、ねとねとしためんどくさいのが身のまわりに残った。
その4。じつはわたしは、明るくユーモアがあるいい人です(c.田母神)。だから、世の中にいるめんどくさい人たちは、〝ああいう気持ちのいい人(わたしのこと)とつきあって、自分もめんどくさくない人になりたいな。〟とわたしにあこがれる。だから、めんどくさいのがわたしの身の回りにまとわりつく。
その5。めんどくさい人とか、めんどくさくない人とか、人間を一定の尺度で切り分けることには、なんの意味もない。そもそもなにをもってめんどくさいとするか、人それぞれの感じ方によって違うじゃないか。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい(c.金子みすゞ)。
その6。類は友を呼ぶ。以上。
民主主義はめんどくさい。もし何かの弾みで権力を持って独裁者になったら、わたしはとてもいい仕事をするだろう。そんなことになったら困るから、オイカワでも釣りに行くのである。
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