サンスイ新宿店さんが新宿駅前再開発事業によるビル建替えのため、11/29で一時閉店するとの知らせを受け取った。とても残念だ。
サンスイ新宿店さんはわたしが学生のころからいちばん通ってきたフライショップだ。フライフィッシングの最新情報の発信拠点として、長いあいだ機能してきたお店だと思う。早期の再開を切望します。
サンスイさんの他店舗は今まで通り営業するとのことです。
『フライの雑誌』第60号 特集◎がんばれ、フライショップ(2003年)
一般的な釣具店、ルアー・フライ専門店、フライフィッシング専門店、通信販売、個人輸入、WEBサイト販売専門の釣具店などフライ用品を扱う店のバリエーションは様々だ。その気になれば、今の私たちはフライフィッシング用品をどこの店からでも買うことができる。
しかしながら、釣り人の多くは、せっかく買うならと、自分のお気に入りの「フライショップ」を持ち、買い物そのものをフライフィッシングという趣味の一環で楽しんでいるのではないだろうか。
そこで、これからの時代に釣り人が利用したくなる「フライショップ」像はどんなものなのか、私たちはどのような「フライショップ」を相棒として、フライフィッシングという奥深い趣味を探求していくのかにスポットを当てた。…
これは、2003年の本誌第60号の特集「がんばれ、フライショップ」のリード文だ。この特集はわたしが企画し、取材してまとめた。いま読み返すと、かなりひどい文章だな。
二十代の半ばくらいから、わたしは『フライの雑誌』の特集企画の案を、勝手にたくさん考えては、定期的に編集部へファクスで送りつけていた。何十本と送るなかで、編集長の中沢さんのアンテナに引っかかった企画があれば採用された。確率は十分の一以下だったか。
企画案をファクスで送りつけた後、しばらくすると、中沢さんの気が向いたときに、電話がかかってくる。仙川の編集部へ行って、カレーとかソバとかの昼ご飯を食べながら、適当に世間話をする。釣りの話はあまりしなかった。で、かならず食後は喫茶店でお茶をする。「そういえばあれ面白いよね、あれ行こうか。ホリウチくんやってくれる?」という感じで依頼された。
ちなみに、わたしが中沢さんとご飯やお茶をして、自分でお金を払った記憶は一度もない。学生時代から一貫してそうだ。だから、わたしはたとえ中沢さんから理不尽な仕事量を丸投げされても、「わかりました!」と最敬礼だった。中沢さんはいろいろ忙しかったし、そもそもわたしが考えた企画なら、わたしがやるに決まっている。それにわたしはたいていお腹がすいていた。
いっぽう、中沢さんの企画の採用基準が、わたしにはまったく不明だった。自分で出した企画ながら、採用された後に「ほんとにこんな企画でいいのかなあ。」と首を傾げることもしばしばだった。今となっては、じつはあの号のあの企画は、ちょっといまいちなやつでして、とも言えない。
しかも、こっちがいまいちだと思っている企画に限って、中沢さんは「これ面白いよね、これやろうよ。」と食いついてくる。中沢さんが「面白いよね。」と言えば、それは面白い企画なのだった。実際、やった時はいまいちでも、ある程度の時間がたつと中身が光ってくる記事もあった。
第60号の特集「がんばれ、フライショップ」は、わたしも中沢さんも、「ぜったいやろう、やりましょう。」と一致した、自信満々の企画だった。インターネットの普及率が低い時代だ。たしか前号の第59号の巻末に読者アンケート用紙を挟み込んでおいて協力を求め、ファクスで回答を受けつけた。
すると第59号発行と同時に、膨大な量のファクスが編集部に届いた。それが全部わたしの自宅へ大量に転送されてきた。ひいーと泣きながら、くるくる丸まったファクス用紙を一枚一枚のばして、中身をまとめていった記憶がある。
わたしが精魂傾けて書いた文章が、中沢さんの手によってまっ赤になり、原型をまるで留めない状態で戻されてくるのは普通だった。あれは中沢さんがわたしを勉強させてくれようとしていたのだ。だって勝手に直して進めた方がずっと楽だから。あんなに面倒みてもらったのになあ…。そこから先は考えまい。中沢さんのタイトリングはうまかった。
編集部の自信満々のわりには、第60号の評判はそれほどよくもなかったような気がする。どうだったかなあ。第60号の読者アンケート[わたしがひんぱんに利用しているフライショップと、その理由]の回答の中に、サンスイ新宿店さんの名前が載っている。
いろいろ時間がたった。
僕らが前を向いている限り、未来は明るい。