テンプレート青年

去年の秋に若い人からメールが届いて、「釣りや自然を扱った貴社の書籍づくりに関心を持ちました。そこでお伺いしたいのですが、貴社では新卒の採用を行う予定はないのでしょうか。」という。さらに「もし募集の可能性がありましたら、ぜひ応募させていただきたいと考えているのですが。」という。このご時勢でわが社が新卒の若い人を会社に入れるなんてブラックすぎる。当然ご辞退させていただいた。

ところがそんなやりとりがあったことも忘れていた今年になって、同じ若い人からまたメールが届いた。「自分はまだ出版・広告業界を目指して就職活動を続けています。貴社で新卒採用がないのは理解しましたが、出版業界の現状などについてお会いしてお話を聞かせていただけないでしょうか。」という。

わたしは立派な中年だが、若い人は好きだ。泡沫な自分たちの世代とはちがい、昨今の〝就活〟は生き馬の目を誰が先に抜くかというような、メチャクチャし烈なパン食い競争になっていると聞く。そんな修羅場のただ中にいて、うちのようにマイナーな版元に何故かしつこくなついてくる若い人の苦労話を聞きたくなった。

それに今どき「出版・広告業界を目指して」などと口走る若い人が、いったいどういう心境でそんな時代錯誤にはまってしまったのかも知りたかった。むしろそこへの興味が大きかった。だって出版・広告は明らかに斜陽な業界だ。そもそも出版と広告を一緒くたにしている時点でまずいのではなかろうか。話の流れ次第では若い人の芽を摘むようなことを自分が言い出しかねないのはイヤだけど、それはそれで人助けかなとも考えた。

翌朝に近郊の駅の喫茶店で待ち合わせはどうですかと聞いたところ、すぐに「ぜひお願いします。」と食いついてきた。それが前日(当日)の夜中の1時半で、ここまでのやりとりはすべてメールだ。最近の若い人はそういうものなんだろう。メールの文章はわりとしっかりしていた。

翌朝、待ち合わせ場所で会った若い人はなかなかの好青年だった。聞けば出版社、広告代理店、新聞社を何十社も受けたけど、ことごとくダメだったという。こういう人でも就職できない世の中なのだな。これが私の書いた文章です、と彼が卒業しようとしている大学が発行している、中とじ90ページくらいの広報誌を見せられた。大学の四年間をその広報誌の〝学生記者〟として過ごしたらしい。付箋が貼られた見開き記事には、たしかに末尾に彼の署名があった。記事の内容は、見出しをながめた瞬間に何だか忘れた。まじめな若い人だということだけは分かった。

若い人は、広報誌を示しながら「わたしは文章を書くのが好きなので、これからも文章を書いて生活していきたいんです」という。今の時代はブログでもなんでもいくらでも文章を書く場所も発表する機会もあるでしょう、と言ったら、「もちろんそうです。しかしわたしはそうではなくて、社会に認められた職業として文章を書きたいのです」とにこやかに言う。そのまっすぐな視線には一点のくもりもない。

自分はこの待ち合わせ場所へ来る前までに、なるべく余計なことは言わないようにと決めていた。しかしそういう若い人を目の前にして、もはや衝動を抑えきれなかった。気がつくと余計なことばかりが口をついて出た。これまでマーケティングに背を向けた人生を送ってきたくせに、うろ覚えの市場調査の数値まで持ち出して、あなたが進もうとしている業界にどれだけ未来がないか、文章でゴハンを食べて生き残るのがどれだけ困難なことかを得々と説いた。そんなネガティブ三昧な自分の話を、若い人は時折うなづきながら姿勢正しく聞いている。

結局ぺらぺら喋るうちに、いまボクがどうしてこういう出版社をやっているのか、個人的な生い立ちみたいなことまで語るに至った。ボクは子どもの頃から釣りとか自然が好きでさあ、なんて感じ。こりゃまいったなあと心中で大汗かきながら、弱気な詐欺師みたいにわたしの舌先がとまらない。最後の方は舌を噛みそうになってゼイゼイ肩で息をついた。

「…、まあ、つまりですね。」 いいかげん疲れてわたしは言った。

「就職だけが人生ではありません。あなたがいいと思えば、その先に道は開けるでしょう」。

おれは一休和尚か、もしくはアントニオ猪木かと、自分で自分に突っ込んだ。「ところであなた、うちの本はなにか読みましたか」。

若い人は頭に右手をちょっとあてて小首をかしげ、「ええ、本屋でぱらっと立ち読み程度で」。

テヘペロってこういうのを言うんだろう。(๑´ڡ`๑)

わたしは少しの動揺も見せなかった。この時くらい、自分がスレっからしのおっさんでよかったと心から思ったことはない。

「そうだと思って、今日はあなたにうちの本をプレゼントしようと思って持ってきました。『朝日のあたる川』といいます。就職で悩んでいるあなたにはぴったりの本だと思いますよ。」

「ありがとうございます。読みます。今日は勉強になりました」。

・・・

この話はこれでおしまい。

人生にオチなどない。