10代、20代の自分は、釣りや旅行に行った先の地方の無人駅、駅前ロータリーや公園、路上でふつうに寝ていた。そういう場所にはお家に帰りたくない、あるいは帰れないホームレスさんたちがたくさんいた。若かったわたしはご当地のそういうひとたちとふつうに交流して、あやしく香る特製カクテルをおごられたり、サンマの缶詰をいっしょにわけたり、旅館へ誘われたりした。旅館へは行かなかったが。
たぶん21歳のとき、真冬の北陸の駅の待合室で、ゴム長を履いた小汚いおじさんといっしょになった。寒いですねとわたしから声をかけて、あたりさわりのない世間話をした。それでしばらくしたらそのおじさんが、「500円貸してくれませんか。この町に住んでいる息子に会いたいんです。でもバス代がない。」と言ってきた。わたしは断った。おじさんはなにも言わずに待合室の扉を開け、湿っておもそうなボタ雪がふる外へ出て行った。ゴム長の底がめくれていた。
若いころのわたしは、旅先でインスタントなプチ・ホームレスを楽しんでいた。コスプレイヤーが秋葉原のトイレでコスチュームに着替えるようなものだ。駅前で寝ているばっちい人たちに対して、お昼のワイドショーでアナウンサーが眉をひそめるような感じでの偏見は持っていない。しかし、では10代、20代のときと同じ旅を40代半ばの今もできるかといわれるときつい。地元でコスプレはできないのがわたしの限界だ。
アホノミクスだか何だか知らないが、さいきんの新宿西口地下がまた、1998年の火事の前のようにホームレス・ホテル化してきていることは、まだあまり言われていない。規模は小さくなり、場所は東寄りに移ったようではある。ちょうど西口交番のうらがわあたり。そのうちオリンピックに気がくるった猪瀬直樹がえらそうな顔をして騒ぎ出すのだろう。青島幸男のように。
下のインタビュー中にある、〝フリーランスはホームレスと同じステージにいる〟という捉え方はまったくその通り。フリーランスでなくとも、わたしだってあなただって、いま携帯電話と免許証を家に置き、片道電車賃だけ持って新宿でも渋谷でも行き、そのままだれとも連絡をとらなければ、立派なホームレスだ。
この本買おう。
ところでわたし『いやらしい2号』を知らなかった。くやしい。