バンブーロッド教書[The Cracker Barrel]
第一章〈なぜバンブーロッドなのか〉より 抄
…精神(スピリッツ)とは、人間が生きていく上でのエネルギーのような人生の力であり、外側の肉体が滅んでも消滅しない。そう思うからこそ、たとえば釣り道具を買う時には、自分に語りかけてくる道具しか選ばない。
ショットガンであれフライロッドであれ、魂の宿った道具は一目見れば、その力なり感覚を感じ取れる。人の思いが加わったとき、その道具は単なる道具以上の存在となる。
病状が回復すると、私は以前とは少し変わっていた。バンブーロッドの躍動感を掌に感じることに喜びを覚え、魚をネットに取り込むのには、バンブーロッドのちょっとした魔法の力を借りた。愛おしいバンブー(竹)そのものに加えて、それを釣り具に作り変えるメーカーについても知りたいと思うようになった。
並んでいるバンブーロッドの一本一本へ触れていくにつれ、それらに宿っているスピリットが私の中に蘇ってくるのがわかった。…自分の頭に描かれる圧倒的な映像と感覚を、私は信じることができなかった。数日後にまた私はその店へ行き、再びロッドを一本一本手にした。そのうちの一本が昔からの友人のように感じられた。私はそのバンブーロッドを購入した。…
□ バンブーロッドには人々の思いが宿っている
私は少し生活に余裕の持てる仕事に変わった。バンブーロッドを介して新しい友人が増えていった。私は電子だ、ビットだ、バイトだと世界中を追いかけまわすようなストレスのかかる仕事をしている。うまく息抜きができないと頭がおかしくなってしまうだろう。
私には、家に戻ると椅子に座って待っていて、私のことを慰めてくれる古い友人─バンブーロッドがいる。
バンブーロッドで釣りをするたびに、バンブーを育てた中国人農家や、それを収穫して輸出できるようにバンブーを洗う伐採人の姿が目に浮かぶ。輸出業者と海運会社がバンブーを運び、倉庫にしまっている姿、そして最後に国内の販売業者と輸送業者の姿が目に浮かぶ。
バンブーロッドにはロッドメーカーの何十時間にもおよぶ作業により、一本一本に愛おしいパーソナリティーが吹き込まれている。魚がかかり、ラインの先に魚の躍動感を感じるたびに、このバンブーロッドに関わってきた人たち全てが、ひとつに結ばれていると感じるのである。一本のバンブーロッドには、私の手に渡るまでの長い旅路で関わってきた人々の思いが、全て宿っているといえる。
バンブーロッドで魚を釣るとき、私は一人ぼっちではない。私は竹の栽培者、伐採者、そしてロッドメーカーの精神とともにある。川で魚を釣るときは、そのロッドに宿る精神と、以前の持主たちの精神とともに釣りをしている。私が彼らの見た川を見るときも、私が魚とファイトするときも、釣り上げた魚をリリースするときも、みんなで精神を分かち合っている。
私もいつかは死ぬことになるので、私の思いも皆の思いと同じように、一本一本のロッドに添えられることになる。もしあなたが、いつの日か古いバンブーロッドに出会ったとき、見覚えのある川で、見知らぬ人がパイプをくわえながら淵の畔に腰かけて、微笑みながら水面を見つめている姿を、脳裏に思い描くだろう。それはきっと私だ。私のスピリットがロッドの世話役としてそのバンブーロッドに宿り、いつかあなたと魚釣りを共にするのだ。
限られた時間だけこの世に滞在することを許されている身であれば、喜びのある人生を送ろう。かつては植物として命を持っていたバンブーロッドで、私は私の人生を感じるために釣りをする。…
(サンテ・L・ジュリアーニ/永野竜樹訳)
大型連休にバンブーロッドの奥深い世界をおたのしみください。