たぶんもう使わないし、いらないのだけれど、なんとなく捨てられない資料が、編集部の物置部屋の片隅に、うずたかく積んである。もう20年くらいそこへ積んできているので、今では大森貝塚か、海底から隆起したヒマラヤ山脈のように巨大化してしまった。
昨日、その山脈の端っこに足をひっかけた。ドドドーッとなりかけたのを、背中で支えて渾身の力で押し戻した。家がこわれてしまう。なんとか山体崩壊を防いで、ホッとしたわたしの足元に、これら二枚の紙焼き写真がはらりと落ちていた。それぞれの写真の背景を下に記した。
こんな風に、20年以上前に釣った魚の写真を見るだけで、若いころの自分の人生の一シーンを、いいおっさんになった今でも鮮明に思い出せるのだから、フライフィッシングをやっていて幸せである。
ところで本当は、魚の写真のほかにも、もう数葉の紙焼きがはらりはらはらと落ちていたのだが、それらは色んな理由でやばかった。即、ビリビリにして隠滅した。都合の良くないことをなかったことにするのは、わたしの人生の得意技だ。記憶も自在に消去できる。(ときどきゾンビのように甦ってくるときもある。わたしが突然わーっとか叫んだときはそういう時なのでそっとしておいてやってください。)
いま『フライの雑誌』次号の編集の最後の追い込みだ。からだとこころがくたびれてくると、ふくらんだ過去が部屋の窓から入り込んでこようとする。そんなもの、ビリビリにしてやる。