そう、家のそばに川があって、いつでも気がむけば日がな一日浮きを眺めていることのできる環境こそが、私にとって人間らしい暮らしということになるのである。
『文豪たちの釣旅』〈池波正太郎 ─水郷・江戸の面影はいずこに〉より(大岡玲=著)
シーンが目に浮かぶ。浮き釣り大好きです。
以前、自称業界人のだれかが『フライの雑誌』はオーセンティックなフライフィッシング原理主義だと、陰でこそこそと批判していた。それはまったくの誤読。言いたいことあるなら直接言えばいいのに。
しかし不肖わたくしは、自分のフライフィッシングで「浮き」は使わない。だってそんなの…。以下私見のため自粛。
こういう考え方が矛盾しているかしていないかわからない。でも、どこからどこまでがフライフィッシングかだなんて、人それぞれじゃん、ということはたしか。
まして原理主義だなんて仰られても…。