『フライの雑誌』第63号、第64号(売切れ)に、コンピュータジャーナリストの片山哲也氏が「フライフィッシングとインターネットの幸せな未来のために」という記事を短期集中連載していた。そのなかに「〝フライフィッシング〟をgoogleで検索すると検索結果の数は45,000件を超える。」という記述があった。『フライの雑誌』第63号は2003年11月発行だ。試みに2009年末のいま、googleで同じことをやってみると『 フライフィッシング の検索結果 約 1,060,000件』と出た。単純計算で23.5倍以上の増加である。
どれほど身びいきに考えても、日本のフライフィッシング界がこの6年間で23.5倍に活性化したはずはない。市場規模がマイナス23.5倍というなら納得するかもしれない。それを象徴するかのように、2008年8月発行の『フライの雑誌』第82号から「フライファン『適正増』戦略のご提案」(増沢信二氏)といった連載が始まって最新87号に至るまで6回もつづいている。雑誌は時代を映す鏡というが『フライの雑誌』もなかなかじゃないか。いいのかなあ、他人事みたいに満足していて。
市場規模は脇においておくとして、フライフィッシングに関するネット上の個人サイト、ブログの数に関しては、いまは6年前の23.5倍以上どころではないだろうことは、直感的に理解できる。「フライフィッシングを語る場を作りたい」というマニアックな欲求を満たすには、20年前ならミニコミ誌を自分で作るしかなかった。ポジで写真撮って写植打って版下つくって製版して金かけて印刷してと、物好きな人間がこちょこちょ・うにょうにょとやっていたわけだが、いまではそんな作業はまさに前世紀の遺物である。
当時を少しばかり経験している者として、現代のインターネットの社会環境はまったく理想郷だ。語りたいことがいっぱいあって、費用と手間をかけず自由に発信・配布できる環境が保証されている現状は、本当に素晴らしい。あえて付記すれば、そこで語られる表現のレベルと内容はこの場合アナーキーでいい。混沌のなかから各自が判断して取捨選択する、それがデモクラティックというものだ。たとえその行く先が千と千尋の神隠しだとしても、誰かに仕分けされて管理統制されるより23.5万倍も美しい。
閑話休題。「自分の好きな何かを語りたい」という欲望と情熱ではフライフィッシングマニア以上と思われるのが、ラーメンマニアである。今年11月、JR豊田駅前に「二郎インスパイア系」のラーメン店『盛極軒』が新登場した。そちら系のマニアのあいだでは百家争鳴たいへんなことになっているらしい。ラーメン二郎好きの地元日野市民な私は、これは行ってみなければなるまい。で、昨日行ってきました。
頼んだのは「つけ麺 大盛り(400g)」850円。つい「野菜マシ」にしたら、どんぶりの上空30センチまでモヤシとキャベツがどーんとそびえたっているバベルの塔が出てきてしまい、闘う前から天をあおいだ。がんばってがんばって全体の三分の二までは食べ進んだものの、ほぼ脂身で構成された直径10センチ厚さ10ミリの巨大ブタを箸でつまむだけでこみあげそうになって本当にギブアップ。自分で頼んだラーメンを食べきれないのは生まれて初めてだ。
もうなんか言葉を発するのも辛かったため、店員さんに顔の表情とジェスチャーで、〝お腹/いっぱい/ゴメンナサイ。〟と伝えて、逃げ帰った。店員さんが笑っていたのは私みたいなヘタレが他にもけっこういるということかもしれない。作品全体としては二郎と大勝軒を足して二で割って、盛りをさらによくした印象だ。『盛極軒』(セイキョクケン)という読みづらい店名は「盛りを極めた軒」ってことなんだな。たしかに二郎よりすごい盛りだった。なんて恐ろしい。
お腹に自信のある方はチャレンジどうぞ。やれるのか?