今じゃ胃潰瘍でお酒も呑めません/「ニューキャッスル」のネコ

午後から銀座へ。「カフェ・ド・ランブル」のカウンター席で若い学生さんとたまたま隣り合わせた。「去年上京して来たんですけど、東京に出たら吉祥寺のもかと銀座のランブルへ行きなさいって、地元の喫茶店のマスターに言われていたんです」とうれしそうに語る彼は、頭が良く清潔そうな美青年である。

寒い街を歩いて来たせいか、ポッと赤らんでいる色白のほっぺたがかわいい彼ともっと会話したくて言葉を探し、「コーヒー好きなんですか」と、間抜けな質問をしてしまった。彼はにこやかに頷いてくれたが、だからコーヒー好きですって、この子さっきから言ってんじゃん。まだ10代と思われる彼と私の間には、20歳以上の年の差がある。いつのまにそんな年くっちゃったんだろおれ。

肌艶のいい彼の横顔をちらちら盗み見しているうちに、ずいぶん前に北杜夫がエッセイで男の同性愛について、「ギリシアの美少年なら自分もできそうだが、毛が生えちゃうともうだめ」と書いているのを読み、分かる分かるそれ、と膝を打ったことをふと思い出した(この状況でそんなの思い出すなよ。膝も打つな)。30代後半の数年間、新宿二丁目で大ホモの友人たちと連日明け方まで呑んだくれていた身体の記憶は、そうそう簡単には薄れないようだ。今じゃ胃潰瘍で一滴も呑めませんって。

並木通りを京橋方面へ歩いていったら、名画座の並木座跡地が、原色のアパレルビルになっていて、がっくり。テレビでそこの社長のドキュメントをやっているのを見たが、とことんつまらない男であった。あんなつまらん社長を崇めて、その下で嬉々として働いている着飾った女の子の社員たちも哀しかった。当人たちには大きなお世話だ。

おなかがすいたので銀座二丁目の「ニューキャッスル」で辛来飯(カライライス)の大森を注文する。量の少ない方から順に、品川,大井,大森,蒲田と名付けられている小粋なメニューと、お姉さんがテーブルに持って来てくれるときに「はい、到着ですぅ」と言ってくれるのが、なんかうれしい。

20年近く前に銀座の事務所で働いていた頃、並木座の最終上映へ行く前にはたいていここでカライライスを食べていた(映画がはねた後は「三州屋」が決まり)。レジ脇の丸椅子には白三毛のデブ猫がいつも丸まっていて、お勘定のときにそいつをなでなでするのが気持ちよかった。今日はいないのでお姉さんに聞くと「もういなくなっちゃいました」とのこと。20年もたてばネコもいなくなる。