『フライの雑誌』寄稿者の作家さんと電話。さいきん初めて仕事した編集者さんの話を聞く。その編集者は、初めての仕事の依頼をメールで送りつけ、作家さんが原稿を書いて送ってあげたところ、受け取った旨のメールをよこした。そのメールには、改めて連絡しますと書いてあったそうだ。ここまでやりとりはすべてメール。ひと言も直接話していない。
けっきょくそのまま連絡は一切なく、もちろんゲラ刷りもなく、面白いので放置しておいたら、いきなり自分の原稿が本になっていることを、手にとった一般の読者から教えられたという。発行から相当日数たっているにもかかわらず、編集者からはいまだ掲載本を送ってきていない由。載せましたのひと言も、ボツでしたの捨て台詞もなく、勝手に本にして流通させてしまうなんて、もう強引なんだから。
長いつきあいのある版元とはいえ、〈初対面〉ですらない担当編集者を相手に、どこまでこいつはのさばるんだと、最後までつき合う作家さんも、かなりの肝っ玉だといえる。作家さんは、すごい時代になったもんだねえ、と笑っていた。いやはや、ナゾの編集者おそるべし。メールの文章からプロファイルすると、いまどきの若者風じゃないかということだ。
私の身の回りの同業者に軽く聞いてみると、どうも最近は、このような仕事っぷりの若手が意外にイレギュラーではないようだ。フライの雑誌社の場合、初めての書き手の方とは、会えるならもちろん会う。それが無理ならかならず電話で話す。受話器の向こうからは、声色や会話のスピード、ため息や間の手など、メールの100倍以上の情報量を得られる。会えば500倍だ。逆に、電話で話すのを嫌がる相手とは、やはり深いおつきあいは期待できない。先方がつきあいたくないということだから。あたしと話したくないなんて、ひどいじゃない。
最新『フライの雑誌』84号について、ふるい友人から〈お前のとこの本にしては、比較的オーソドックスな編集企画じゃん。〉という評価をもらった。〈ぜんぜん、これでOKじゃん。なんだかしみじみと読みでがあるじゃん。〉とのこと。他人様はともかく、フライの雑誌社はアナログかつアナクロでいい。私はシーラカンスになりたい。