昨日は八丁堀でひらかれた「釣りジャーナリスト協議会」総会&定例会へ参加。会場へ入ったら、「お、2ヶ月連続で来るなんて珍しいねえ」と大先輩に突っ込まれる。すみません。
定例会のなかで、原発事故被害の話題になった。ワカサギの出荷を自粛していた群馬県赤城大沼において、3/14に群馬県知事が許可して、釣ったワカサギの持ち帰りがいったん解禁になったが、水産庁が問題視して再自粛を要請。すぐに許可は撤回、持ち帰り不可に戻った。その経緯を水産庁釣り人専門官が話した。
原発事故による放射能汚染に関しては、国も県も、お互いに都合が悪くなると、相手へ責任をおしつけて逃げる。しかし、後々に自分の組織へ影響があると考えれば、有無を言わさず強権を持ち出す。今回の件については、水産庁が厚労省の意向をそんたくして、群馬県の自主的な判断をつぶしたというのが、わたしの感想。
その話題をきっかけに、協議会定例会に参加していたメンバーのうちの数名から、放射能被害についての発言がいくつかあった。「東京湾の放射能汚染の風評被害は、いい加減払拭されたでしょう。」、「食品の放射性セシウム濃度基準値を100ベクレル/kgにしているのはおかしい。アメリカは1200ベクレル/kgだ。マスコミはそのことをもっと報道しろ。」など。がまんできずに挙手して発言を求めた。
〈放射能被害に、風評被害はない。それは実害だ。本質は数字ではない。国は自分たちの都合がいいように、数字を操作する。
先月、福島県中通りの未知の釣具店さんから編集部へ電話があった。『淡水魚の放射能』の内容への問い合せだった。その釣具店さんの地元の川は、汚染されて釣りができない。地元の釣り人からは、いったいいつになったら釣りができるんだと言われている。釣り解禁を福島県に陳情しても、まともに相手にされない。
漁協や地元の釣り人でグループを作り交渉しようと思ったが、せっかく世間から記憶が薄くなってきている放射能被害を、蒸し返すことになるからやめてくれと、地域の住民から白い目で見られる。しょせん釣りなんて遊びじゃないか、と言われる。だから『淡水魚の放射能』も店頭には置けない。…
放射能被害は「なかったことにしたい」という無言の圧力が、原発被災地を覆っている。本来言うべきことをただしく言おうとすると、地域に暮らしづらくなるという、とんでもなく理不尽な日々を過ごしている人がいる。そんな相手に、基準値の設定が高すぎるのがわるいなどと、わたしは言えない。
釣具店さんから、むかしの地元の川での楽しかった思い出などをうかがって、しばし盛り上がったのは、楽しかった。釣りは遊びだが、明日へつづく気力の糧になる。『淡水魚の放射能』をだしてよかったと思っている。〉
という内容のことを、なるべく簡潔に、冷静に発言したつもりだ。わたしの発言を途中で遮られることもなく、皆さんがきちんと聞いてくれて、そのあとの議論へと続いたのはよかった。
国が、風評だと言い張るのは勝手だ。しかし、いやしくも〝ジャーナリズム〟を自称する立場のものが、風評などという言葉を無批判に使って、国のお先棒を担いでどうするんですか。と、本当はそこまで言いたかったが、言わなかった。
八丁堀を出て、銀座まで歩いてランブルへ。わたしはこうみえてとんでもなく気が弱い方なので、八丁堀のような公の場で生意気にも挙手発言などすると、魂がぜんぶすーっと抜け出て、からだがもぬけの殻になり、しばらく使い物にならなくなってしまう。コーヒーを二杯いただくうちに、ようやく戻ってきた魂をふたたびこころに取り戻して、新宿へ。
新宿の大きな釣具屋さんに寄ったら、『フライの雑誌』の最新第101号が残りわずか二冊。『バンブーロッド教書』も最後の一冊になっている。売れている。
「追加いかがすか!」
「週明けにでも。」
「…わかりました。」 すごすご。
弱い。弱すぎる。史上最弱の営業マン、それはわたしだ。せっかく戻ってきた魂がふたたび抜け出てしまった。
これはもう、阿佐谷へ行って癒されるしかない。ということで、新宿から中央線で流れ流れて、阿佐谷は吐夢へ行った。カウンターでしばらくぼうっとしているうちに、がっこのふるい先輩(『葛西善蔵と釣りがしたい』の「メラメラしてきました」のひと)からメールが届いて、思いがけずしばらくぶりに会えることになった。そのままお店で合流して、うすいお酒をグラスにみっつほどいただくあいだに、ようやく魂がまたわたしのこころに戻ってきてくれた。
わたしの魂にとっては、なかなかいそがしい一日だった。
すまん魂。
そのうちきっといいことあるから。