単行本『魔魚狩り』(水口憲哉著)から 第二章〈メダカ、トキ、ブラックバス、そして純血主義〉を一部公開します

 メダカ、トキ、ブラックバス、そして純血主義

 ブラックバス排斥論者に、純血主義、国粋主義、民族主義などの
 片鱗が見られ、おかしくなると同時に背筋が寒くなってくる

 世田谷区を流れる野川に生息するメダカはどのようなルーツをもっていれば許されるのか。中本賢さんの野川のメダカに対する気持ちと活動を知りつつ、ついそんなことを考えさせられてしまった。

 中本さんは、数年前に野川にメダカのいることに気づき、昨年夏より、飼育、調査と強い関心をもつようになり、その増殖をも考え始めたら、メダカが「レッドデータ・ブック」にも登場し脚光を浴びるようになった。そこで、中本さんは世田谷区役所へメダカの保護を要請した。世田谷区の環境課調査啓発係は三年前よりその存在を知ると同時に、世田谷トラスト協会が新潟大学の酒泉満教授に遺伝的調査を依頼した結果も知っていた。

 アイソザイムやミトコンドリアDNAについての分析結果は、野川のメダカは西日本型であり、東日本型ではなかったというものであった。その挙句に、野川のメダカは、「世田谷弁を話すメダカではなく関西弁だった」ということになり、人々をシラケさせ、野川のメダカは強い関心をもたれることもなくそのまま放置されることになった。そこに中本さんが保護を申し出ても、そういうことだからと区は動こうとはしなかったようである。

 野生のメダカには変りがないのに、西日本型だとなぜ保護の対象にならないのか。今の時代に、ルーツはどうであれ、野生のメダカが生息する野川の環境は望ましいものなのでそれを維持するというふうになぜならなかったのか。

 野川のメダカが東日本型なり、世田谷の地域集団(筆者はそれを「単位群」と言うが)であったとしても、湧水などが豊富だった時代に稲作の伝播とともに半家魚化したメダカが生息していることがそんなに望ましいことなのか。日本の水田の風景は自然でもなんでもなく、人為的環境改変の極致とも言われている。

 こうじゃなきゃいけない、こうするべきだという、一種の純血主義が最近再び盛り返しているようである。

 筆者は、今から二十三年前に今はなき雑誌『アニマ』の時評で、「外来動物と純血主義について考える︱求める自然が人によって異なり、と同時に人によって求め得る自然も異なっている」ということで、外来魚やブラックバスにふれながら、「いっぽう、外国産の魚はもとより日本在来のマス類でも、本来そこにいない魚は放流すべきでないという意見がある。一理あるが、放流した記録さえ公開保存すれば、そう目くじらたてることでもないように思う。動物の側からのみ見て、一つ一つの種についてこれは本来いるべきだ、いるべきでないと決めつけ、あくまで『自然』を追及し続ける一種の純血主義ともいえるものに疑問を感じる。」と書いている。

 この考えはいまでも変らないし、ここ四、五年のブラックバスをめぐる論争でもこの基本的スタンスで発言している。今の子供たちにとって、求め得る自然や釣りとは何かと考えたら、関西弁であろうと目の前にいる野生のメダカであり近くの池のブラックバスとなるのは止むを得ないと考えるし、それが本来あるべき自然や研究者や環境保護論者やある種マニアックな人々の求める自然とちがうからといって、子供たちにあきらめろ、待てとは言えない。

 そんなことを考えていたら、トキの人工繁殖国内初の成功というニュースに接した。トキが国内で絶滅(人間で言えば一〇〇才にあたるキンがいるのでそう言い切れないが)したのは、乱獲と淡水域の農薬汚染や開発によるものでその原因の多くの部分はメダカとも重なる。

 ところで今回人工繁殖に成功したのは関西弁どころか、中国語を話すトキである。なお、先の酒泉さんの研究によれば、メダカにも四主要集団の一つとして、中国︱西韓集団というのがある。日本の研究者が勝手に、ニッポニア・ニッポンという学名をつけて、国の特別記念物だなんだと騒いでいるが、本家というか、ルーツ発祥の地は中国大陸と考えられる。そして、きちんとした調査を行なえば、トキもいくつかの主要集団が復元でき、佐渡にかろうじて生き残っているキンと、今回の友友・洋洋カップルとは異なる遺伝的集団に属している可能性がある。そのことは当然環境庁もわかっているが、この際目をつぶるしかないということのようだ。

 さらには、「近親交配は遺伝的に悪影響を及ぼすので、さらに数を増やすには中国のトキと日本で生まれたトキのペアリングも欠かせない。」との意見もあるようだが、クローン技術と優生学的技術との組み合わせによりキンの子孫を残すという、過酷でブラックな試みもそのうち行われるかもしれない。しかし、ルーツをほじくるのはやめよう。これでいいじゃないかということで、後者の恐い話は日の目を見ない可能性がある。

 というのは、日本在来のトキということで考えだすと、天皇のルーツはどこにあるかということにも考えが及んでゆく。それは、日本人と呼ばれたり、自称する人々の多くが、お尻の青い蒙古班をもつモンゴロイドを祖先にもつことは、現代の科学で認められている厳然たる事実だからである。そのモンゴロイドが二〜三万年前から、中国、朝鮮と移動し、数波にわたって日本列島にやって来て、九州や本州で暮らす人々の祖先になっただろうというのも確かなことである。

 それゆえ、太平洋戦争の際、中国や朝鮮を侵略した日本が自分たちを大和民族と称し、これらの地域の人々を天皇との関係で蔑視したのはおかしな、馬鹿げたこととしか言いようがない。そのことと今回のトキでの騒ぎ方を重ね合わせるとなおさらおかしい。人間ほどというが、日本人ほど勝手な人々はいない。天皇も今回のトキについて「うれしく思う」という感想を述べたようであるが、自身を含めた日本人のルーツ、そしてトキのルーツについてどう考えたらよいのか、これまで述べてきたことは全部わかっていると思う。チチブなどハゼ科の淡水魚の研究者としては当然のことである。

 先に述べたアニマの時評「外来動物と純血主義」の最後は次のように終っている。

「こういったこととは別に、日本人の起源について、日本列島にいつの時代か外来の民族が侵入し、それが繁殖定着し、しだいに勢力を広げた現在に至っているという説がある。そういった視点から、日本の自然及び日本人の自然への対し方を再点検することも興味深い。」

 これを読まれた、淡水魚保護協会の木村英造さんが、「この外来の民族というのは、アメリカの進駐軍(占領軍)のことか」と問われたのには、そういう見方もあるかとびっくりした。そして木村さんは、機関誌『淡水魚』で、外来魚特集をやるので、ブラックバスについて書いてくれと依頼された。

 ここいらのところ、日本における外来の民族、外来としてのブラックバスの見方などいろいろ重ね合わせて見てゆくと、ブラックバス排斥論者に、純血主義、国粋主義、民族主義などの片鱗が見られ、おかしくなると同時に背筋が寒くなってくる。

 メダカ、トキ、そしてブラックバスについて、どう考えるかは、筆者がこれまで言い続けて来たことを最近酒泉さんも言っている。

「純血がいいんだということを強調するのも、行き過ぎがあるとあまり良くないなと思います。そういう生息環境がきちんと保存されている方が大事ですからね、純血よりも。特定の生き物の純血を守るだけじゃなくて、受皿としての環境がきちんとしているのが大事だと思います。」(水情報/Vol. 19/No4/1999-4)

 まさに、この視点で、ブラックバスについて長良川河口堰建設との関連において検討を申し込んだがゆえに、本多勝一氏は対応できなかったのかもしれない。本多さんは、雑誌『金曜日』で、筆者について言及した天野礼子さんの文章を拒否したりしないで、本誌あるいは『金曜日』誌上で、ブラックバスについて筆者ときちんと対談したほうがよいように思う。

 ところで、中本さんがメダカを観察した野川には、数年前にオイカワの関東在来型と思われるものをさがしに行ったことがある。多摩川の支流秋川での三〇年前の研究結果が、カワムツの調査などとも関連し発展して、琵琶湖、西日本、鈴鹿・伊吹以東フォッサマグナまで、そして関東平野にそれぞれ異なる単位群が存在したのではないかという仮説をたてるまでになった。

 そして、関東平野では、周辺の山すそに湯葉のようにうすく在来型が生き残っていて、大部分のオイカワは琵琶湖起源と考えられる。関東の在来型はミヤコタナゴの生息するような環境に現在も健在である可能性がある。そのような環境として野川に採集にいったが釣りでは獲れず、投網を入れられるような雰囲気ではなく調査は中断しそのままになっている。

 きちんと調査すれば、東日本型、さらには関東平野型ともいえるメダカが野川にいるのかもしれない。ともあれ、メダカやオイカワが今までどおり住み続けられるような状態に野川を維持することが大切である。

※単行本『魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか』
 水口憲哉著/フライの雑誌社刊/2005年3月10日第3刷発行
 第二章〈メダカ、トキ、ブラックバス、そして純血主義〉(一部)
 初出は『フライの雑誌』第46号(1999年6月)

単行本『魔魚狩り』 本文123頁
単行本『魔魚狩り』 本文123頁


『魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか』水口憲哉(著) 2005年3月10日 第3刷

魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか 水口憲哉(著)|ブラックバスは、濡れ衣だ! 異色のベストセラー
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桜鱒の棲む川 水口憲哉(2010)
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『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』(水口憲哉=著/フライの雑誌社刊)
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