いま思い出したが、小説まがいの文章を送ってきて、「『フライの雑誌』の記事は釣りと関係なくたっていい。面白ければいい。載せなさい。」と言ってきた人が、以前いた。深夜に鳴った携帯電話の向こうの声は酒に酔っていた。
文章は技術とは関係なく、書き手に情熱さえあれば、読み手に何かしら刺さってくるものだ。その引っかかりを大切にするのが『フライの雑誌』でありたい。釣りとは関係なく面白ければいいのはそのとおりだ。
だが、送られてきた文章はなにも面白くなかった。なぜなら上っつらをほうきで適当に掃いたように、書き手の熱の一片もこもっていなかったからだ。つまりいちばん載せられない文章だった。あれなら極度に肥大化した自己をアピールしたい、頭の空っぽなどこかの国の首相の甲高い声の演説のほうが、まだましだ。結局お引き取りいただいた。
カネと権力、権威を小馬鹿にする態度をとりながら、内実は誰よりもカネと権力、権威に執着する人物だった。ダイレクトに、カネ貸してくれと言ってきたこともあった。親しくもない相手へ深夜に電話して自慢話を延々聞かせるのがあまりひどく、着信拒否にした人もいると聞いた。
ご当人は自分の才能にたいへんな自信をお持ちのようだったが、あれからご活躍のうわさをとんと聞かない。どっかの文学賞でも獲るくらいは簡単だと威張ってたと思うのだが。
結局わたしに人を見る目がなかった。そのためにわたしの身の回りの人に多少なりと迷惑をかけてしまった。反省しています。
それはそうと、「あさが来た」の松坂慶子さんは、やっぱりいい。