台割を一から組み直し。

わたしが書いた戯れ言を読んだ常連の寄稿者さんが、自分のブログ記事を批判されたのだと、勘違いした。校了済みで入稿データまで完成していた次号原稿の「掲載を拒否する。キミとは一切縁を切る。」というメールを送ってきた。

さいしょは、何のことやら分からなかった。わたしの過去ログとその人の過去ログをわざわざひっくり返して照合し、ようやく「これと、これ」のことかなと推測した。

〝これブログに書いたんだけどさ…〟を枕詞に、自分の書いたブログが読まれている前提で会話を始めたがるインターネットおっさんが、いまだにいる。おっさんはひまかもしれないけど、みなさんわりと忙しいんです。

あなたのブログはあなたが思っているほど、たくさん読まれていないかもしれません。あなたにとっては世界の全てかも知れませんが。

すこし呆れたが、先方が言ってきたことはスルーできるレベルではない。

わたしはそれを、寄稿者の立場を利用した、表現の自由への弾圧だととらえた。わたしは精神衛生上たいがいのことでは怒らないようにしているが、盗作だとか、(ちっぽけさとは関係なく)権力をかさにきた横暴だとかは、見過ごさないし、許さないし、忘れない。

もちろんわたしは戯れ言ではあっても、いったん自分が書いたものを撤回も訂正もするつもりはない。馬の糞でも表現の自由と竹中労は言った。

自慰ブログへ何を書こうが自由だが、自意識過剰な自慰行為で他人様へご迷惑をかけてはいけない。しかもわたしからのメールを無断で、あちこちへ勝手に転送している様子だ。ネットリテラシーという概念も知らないのだろう。

やりとりしたが、そもそも「お前の書いた文章が気にいらないからオレの原稿を引き上げる」という行為の不当性と幼稚性を、ご自身で理解できていないのだから、議論にならない。

色々考えた結果、仕方ない。相手の本質が分かってよかったと思うことにした。とんだナベツネだった。

以前は尊敬できる才能だったかもしれないが、人間は気を抜くと劣化する。

あと、酒の呑みすぎは脳を溶かす。レトリックとして売りにしている内なら、読者の皆さんに笑ってもいただけるが、度を越せば本当に脳が溶けるのだから、酒というやつはオソロシイ。脳が溶けているのに本人は気づいていないのが、事態をさらにきびしくする。

わたしは酔っぱらいは基本的にきらいだ。街のそこらへんでつぶれている酔っぱらいは、わたしにとって、雨の日に車にひかれて道路脇でぺしゃんこになった石原慎太郎以下の存在である。いわんや脳の溶けたナベツネをや。

だから今になって次号第101号記念号の台割を一から組み直している。

それはそうと、荻原魚雷さんのブログがやたらに面白い。