さらに、こうした堅い文章に使われることとも関係があるのだが、漢字片仮名交じり文は微妙繊細な感情を表現するのには、どちらかというと向いていない。もちろん、天才変態・谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』のような例外はあるが、もともと公文書系漢文から発生したものだから、即物的説明に長けているのである。
『今昔物語集』もそうで、描写は即物的でお話に登場する人物たちの感情表現も、ほとんどブッキラボウと言っていいほどの簡潔ぶりである。文学というより、むしろ新聞記事のようなという表現をしてもいい気がする。
実際、『羅生門』の原典の一行目は …
本誌100号にも寄稿してくださった大岡玲さんの連載「日本語は、頑固なダブルデッカー」の最新第六回がアップされています。
ダブルデッカーとは二階建てバスのこと。
上の引用部だけ読んで、「今昔物語って新聞記事なんだあ。」と解釈するのは大きなまちがいです。
この説話集の存在が他の資料で確認できるのは、成立年代と目される頃から、なんと三百年ほど経ってからなのだ。つまり、編纂後三百年どこかに死蔵されていたわけである。
スケールでかい。ツイートだとか、タイムラインだとか、近況をアップデートだとか、なんなんなんでしょう。
第一回から全文をお読みください。日本語って面白いなあ、と思います。