相模原で起きた陰惨を、「人の形をした人じゃない人が起こしたあまりにも突飛な例外の事件」で片づけてしまえば、楽である。
前に、「重い障害を生きるということ」 (高谷清/岩波新書)を読んで考えたことを、今朝また考えさせられた。自分の中の解はでていても、何回も考えてまた思いだす。何回も確認しないと耐えられないようなことが、世の中にはときどき起こる。
世の中が妙な感じになればなるほど、大きなことはあえて言わず、自分のほんの身近にある、小さくても自分が大切だと思うものごとを抱きしめたいという気持ちが強くなる。わたしの場合はそれが家族だったり、釣りだったり、おいしいゴハンだったりする。
家族や釣りやおいしいゴハンを守るためなら、家族や釣りやおいしいゴハンだって投げだす。こんなトートロジーは自分で書いていてまったく面白くない。あんな事件を知った日に楽しいことはなかなかいえない。
・
(翌朝追記)
殺人者の心理や論理を理解しようとするのはやめた。
無理だもん。