先週、本栖湖へ釣りに行った。釣りの帰りにNさんと地元の方々とで、湖畔の食堂で食事をして、本栖湖をもっと魅力的な釣り場にするにはどうすればいいか、みたいな話をした。Nさんは地元の方とは旧知の仲だ。独特の落ち着いた口調で独自の調査力と幅広い観点からの、説得力のある持論を語っていた。
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わたしはなるほどと聞きながら、食べるの遅いので、いっしょうけんめいに美味しいソバなどをいただいていたところ、口の中でポロッとなにかの物体がとれた。Nさんたちに気づかれないようにそっとナプキンに包んで出してみると、わたしの歯の一部が欠けたらしい。なんで今、歯欠けるの。痛くないし、とくに虫歯じゃないし、食べてたのソバなのに。
なんの前触れもなく歯が欠けるというのは、ひとの人生の中でもわりと珍しくて面白いことだろう。しかし、皆さんの会話をさえぎって、「歯とれました。」とその場で自己申告するのが空気的によろしくないくらいの分別はわたしにもある。
だから、欠けた歯を黙ってシャツの胸ポケットに入れ、残りのおそばを食べ終えてから、ふんふんと話の輪に加わった。なんでもないふりをしていたが、ちょっと気もそぞろだったのは認める。だって歯が欠けたんだから。
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家に帰って確認すると、欠けたのは上の右の前歯の横、2番の裏側の上半分だ。直径5ミリくらい。鏡で見ると、正面からは分からない。でも舌で触ると明らかに欠けている。これは歯医者さんへ行かないとやばそうだ。
ああ、困ったな。わたしは歯医者さんがこわい。あの「キーン」という音をたてて高速でグルグル回る金属の細い棒のことを考えただけで、背筋がぞくっとする。まじこわい。
10数年前、まだ仙川に編集部があったころ、なにかの弾みで歯の神経が剥き出しになったことがあった。舌でちょっと触ったら、生まれてこの方経験したことのない、飛び上がるほどの電撃が全身に走った。というよりふつうに10㎝くらい飛び上がった。あの電撃にくらべれば「キーン」の方がまだましだ。
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仕方なく今朝になって、近所の歯医者さんへ行った。ていねいで腕がいいので地域では有名な人気の歯医者さんだ。わたしのようなびびりのおじさんにも、いい感じで優しく対応してくれる。
この歯医者さんには、子どもが保育園児のとき、すぐ近くの保育園へ子を送った帰りに、しばらく通っていた。ある日、待合室で診察の順番を待っていた。すると待合室に面した道路の歩道を、園児たちが公園までお散歩していくらしい。そのにぎやかなざわめき声が近づいてきた。ガラス窓の向こうを手をつないだ園児たちが二列になって通りすぎてゆく。子どもはかわいいな。
「この歯医者さんにパパ通ってるんだよ!」
と、聞いたことのあるひときわ元気のいい声が聞こえたかと思うと、次の瞬間に黄色い帽子をかぶってお友だちと手をつないだうちの息子が、こっちを見ながら「あ、パパだ。」と言いながら通り過ぎていった。お友だちの手ごとバイバイしてこようとしたその途中で姿が消えた。
向こうも驚いたろうがパパも驚いた。他の患者さんたち(近所のばあちゃんみたいの)がくすくすと笑った。昔あだち充のマンガで少年と少女が出会うと、三葉虫みたいのがふわふわとバックに流れた。あんなぽわーんとした雰囲気が歯医者の待合室に漂った。そういう愛すべき地域の歯医者さんだ。あれで「キーン」がなければ歯医者さんわりと好きなんだけど。
で、その歯医者さんの先生に今日優しく言われたことは、「銀歯かセラミックですね。銀歯なら数千円、セラミックなら白くてきれいで5万円。」という、ショッキングな事実だった。
セラミックむり。前歯が銀歯もさすがにむり。
年末にきてまじかー。