昨夜の福盛投手

キビシい現実を突きつけられたとき、人間は妙なことをする。『フライの雑誌』の編集制作を例にとり、時間軸に沿って検証してみたい。

企画の締め切りが迫ってくると、とにかくうろうろする。街でも山でも墓場でももちろん釣り場でも、うろうろできればどこでもいい。そのうち狭き門の向こうに通じるはずと思い、ひたすらうろうろする。なつかしい昔の同級生とかに会ってお酒を飲んだりもする。『フライの雑誌』は季刊だから年に4回うろうろする勘定だ。このうろうろがじつは大事で、ああ、あのとき神が降りて来たんだなとあとから思い返すことがある。これまでの実績だと最低約30日間はうろうろする。

企画に納得して実際の作業に入る前には、今度は意味もなく大量に本を買う。目の前の企画とはあえてまったくぜんぜん関係がない本だ。マンガでもエッセイでも古典でも、とりあえず〝本を買う〟ことで精神の安定を得るものらしい。もちろんすぐには読まない。そのまま古漬けみたいになった本が『フライの雑誌』発行の度に蓄積していくことになる。Amazonのマーケットプレイスのせいで、古本屋の均一コーナが大好きな者にとっては、自分の部屋が天国か地獄みたいになった。

で、ギリギリまで編集作業は何もしない。自慢じゃないが小学校の夏休みの宿題は始業式の日の朝にやった。当然終わるはずはないから、通学路の途上でできなかった言い訳を考えるのが毎年9月の常であった。おそろしいのはそれで何とかなっていたことだ。どんな風に何とかなったのか覚えていないが、とりあえず小学校は卒業できたから何とかなったんだろう。立川市立第二小学校には私をもっときびしく指導してほしかった。おかげでこんな大人になってしまった。ここまでで、あっという間に約45日以上がすぎている。

崖っ縁にかかとをのせたところで、いよいよ作業をスタートするわけだが、入稿には締め切りというものがある。要は締め切りまでに間に合えばいいわけで、やっぱり本当のギリギリになるまであまり仕事しない。けっして仕事をしたくないわけではない。むしろ本作りは大好きで常に心中するつもりでのぞんでいる。一冊やりおえた時の達成感は何物にもかえがたい。ただ、そこに至るまでの13階段をのぼるのがツライ。バンジージャンプの台で震えているようなものだ。いい仕事には発酵が必要だとか、居合い抜きで決めてやるんだとか、心中はヒリヒリしつつ適当なことを言って逃げ回り、早60日が過ぎる。

ここらへんになってくると精神状態がすこしおかしくなってきている。やばい夢を見始めるのもこのころだ。じつは10月22日の現在はちょうどここらへんにいる。昨夜は冨士サファリパークで、車のウインドウを自分で開けて顔を突っ込んできたメスライオンに、ガジガジと自分の頭蓋骨をかじられる夢をみた。夢なのに生臭い息のにおいがした。今夜は、夕焼け空から大きな飛行機が飛んで来て私をめがけて墜落する夢を見るだろう。毎度のことだ。逃げても逃げても追いかけてきて、こっちをめがけてまっすぐに墜ちてくる。

やばい夢を見た次の朝は骨の芯からだるい。しかしなぜだか肉体を動かしたくなるのもいつものことだ。今日はわざわざ早起きして(あまり寝ずに)北野の市場へでかけ、魚屋のお姉さんといなせなやりとりをした後に、活きのいいサンマを買って来た。それでいそいそと干物をつくった。べつにこの追いつめられた時期に、なにも私がサンマの干物を作らなくてはいけない理由はどこを探してもない。だけど気がついたら干物を干していて、ハッとなった。干物作りは直視したくない現実から逃避するための、のりピーのシャブみたいなものか。そういやどちらも、アブります。

昨夜の福盛投手も、いまごろは北海道の宿舎で干物を作ってるんじゃないのか。