木村さん似のテツヤさん

テツヤさんと北海道で初めて会ったのは、わたしが19の夏だった。神奈川から来たというテツヤさんは30代の前半だった。もちろん二人ともフライマンだ。

わたしは一ヶ月の夏休みを丸々使ったオートバイの釣り旅で、 会社員のテツヤさんは1週間の休みをとって、飛行機で空を飛んで釣りに来ていた。飛行機代は高いでしょうと言ったら、「だって釣りのために働いてるんだから。時間を買っているんですよ。」とテツヤさんは笑った。おとなに見えた。

二人で道東の湿原の川を這いずり回った。岸ぎりぎりにフライを落すと、ポクンと音をたてて、いいアメマスが釣れた。オショロコマなんか入れ食いだった。

それから毎週のように誘いあって、テツヤさんの車で関東と東北の渓流へフライフィッシングへ行った。

テツヤさんと釣りに行く時は、出発前に各自1万円ずつをコンビニ袋に入れる。昼飯代から何から、すべてそのコンビニ袋から共同で使っていく。これが原始共産制かと思った。当時はETCなんてなかったから、ガソリン代と高速代は釣りの帰りにファミレスへ寄って、1円単位まで割り勘にした。さわやかな関係だった。

一度どこかの宿へ泊まったとき、わたしが朝に起きられなかったことがあった。「釣りに来たんじゃないのかよう!」と、暗い民宿の部屋に仁王立ちになったテツヤさんに怒られた。テツヤさんの車のキーホルダーには、学生時代に出場したという空手の全国大会の入賞メダルがぶらさがっていた。わざわざぶら下げているくせに、それについては、なぜかあまり話してくれなかった。「型の部」と刻んであった。

そのうちわたしに彼女ができて忙しくなったり、わたしが会社を辞めたりして、だんだんテツヤさんと釣りに行く回数が減っていった。あるときテツヤさんは「おれなんか結婚もしないで釣りばっかしてさ。」と少しだけ自嘲気味に言っていた。実家でご両親の面倒をみているらしかった。

テツヤさんの釣りはしつこかった。そして必ずわたしよりいいのを釣るのだった。

テツヤさん元気かな。

テツヤさんは憂歌団の木村さんに激似であった
葛西善蔵と釣りがしたい 釣り人なんてどうせはなから酔っぱらいである こんがらがった人生がさらにこじれるエッセイ集
重版 山と河が僕の仕事場|頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから(牧浩之著)
新刊 『山と河が僕の仕事場2 みんなを笑顔にする仕事』(牧浩之著)
111号 特集◎よく釣れる隣人のシマザキフライズ とにかく釣れる。楽しく釣れる。Shimazaki Flies