池をつくろうと思う。36

うちの池の水が自然に減るようになって約二週間。

当初、だいたい一日で3センチ減っていたのが、最近では10センチもガクッと水位が落ちるようになってきた。さすがこのところの猛暑で水分が蒸発するのが早い、と納得しかけたが、もちろん一日に10センチも蒸発するわけはない。わかってるって。

はやい話、池の底のどこかに空いた穴が、だんだん大きくなっているのだろう。

毎朝起きて庭を見ると、ガクッと水が抜けてむきだしになった池の側面が、否が応でも目に入ってくる。〝ああ、やっぱり〟と、心底がっかりする。水道からホースで水をじょぼじょぼと足している時の寂しさといったら、ちょっとほかにない。

わたしが子どもだったころ、わたしのお父さんが病気になって仕事ができなくなった。入院したり家で療養したりを何年か繰り返した。お父さんが家にいるとき、家族でいっしょに夕食をとって寝る前に、明日の朝に目が覚めたらお父さんの病気が治っていたらいいのに、とよく思った。

夜にぐっすり眠れば、寝ている間に状況がかわって、朝にはなにかいいことが待っていてくれるんじゃないか、と願っていた。

いま、毎晩ふとんを敷く前に、わたしはまっ暗な庭を懐中電灯で照らして、池の水位を確認する。そして、「明日の朝、池の水が抜けていなければいいなあ。」と祈る。でもきっと明日の朝、池の水はガクッと抜けている。

わたしは水の抜ける池といっしょに暮らしている。

でっかい持病を抱えてしまったみたいな気分だ。

毎朝足しているから水はきれい。
むき出しになった池のゴムシートは哀しい。毎朝足しているから水そのものはきれい。魚たちも元気。
むき出しになった池のゴムシートほど哀しいものはない。
秋になったら池の大改修工事をしよう。いっそこの際、倍の大きさにしてやろうか。庭ぜんぶ池、みたいな。
転がったリンゴを誰かが拾ってくれるかどうかは、リンゴを転がしてみなければ分からない。新刊『葛西善蔵と釣りがしたい』
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