渋谷へ行く。(1)

◯都内在住のTさんは『フライの雑誌』の常連寄稿者である。Tさんがじつは世界的に認められている著名な服飾デザイナーさんであると知ったのは、つい最近のことだ。ただのエッチな釣り好きのおじさんかと思っていた。

Tさんの主宰するブランドの新作展示会のご案内をいただいた。華やかな場所が苦手な私はお誘いのメールを開いた瞬間に怖じ気づいた。しかしそんなに名高いTさんの仕事をのぞき見したい気持ちが勝り、取材で都心に出た後に伺ってみようと思った。

取材先からTさんに電話してイベント会場までのアクセスを聞いた。すると「渋谷から公園通りをまっすぐ行って…。」と言われた時点でもう分からない。ふだん日野の田んぼで泥をすすって生きている者に大都会の営みは時空を超えている。だからJRの原宿駅を降りて線路沿いを適当に歩き、目印に教えられたとある劇場の前に思いがけずたどり着いたのは、まさに奇跡だった。

劇場の対面のおしゃれなビルの一階が展示会場らしい。ものすごくカッコいい感じのお兄さんや眼を見はるほどきれいなお姉さんたちが忙しそうに、立ち居振る舞いはあくまで優雅に会場を出入りしていた。どうやら今回はバイヤーさんたち向けの展示会ということらしい。おしゃれなはずだ。そういえば私でも知っているセレクトショップのでかい車が横付けされていた。

近くの歩道に立って会場の様子をそっとうかがいながらTさんに電話した。するとたまたま昼食に出ているという。「僕の名前を言ってくれればわかるから、先に入って見ていてよ。」と言われた。しかし入れるわけがない。私はユニクロに一人で入れない。幼児服専門の西松屋でもムリ。正直言うと、なんかもう、服とかを売っている場所はぜんぶ生理的につらい。身体がロボットになって筋肉が引きつり呼吸困難に陥る。

ユニクロや西松屋でだめな私が、流行の最先端をいく都心の新作展示会でコンニチワと自ら暖簾をくぐるなんて、なめくじが死海を泳いで渡るよりもたいへんなことだ。で、結局Tさんが帰るまで、前の歩道のガードレールに腰掛けて45分くらい待った。隣でホームレスのおじさんが時々奇声を発していた。

ようやくTさんが戻って来た。そのやさしい笑顔に手を引かれるようにして私は会場へ足を踏み入れた。華やかなスポットライトの光の束が一気に両の眼を射した。高貴なバラの香り。おしゃれなBGM。そしてこんな日野の私へあくまでさわやかに、にこやかに接客してくれるアパレル業界のきれいな人々。まじで倒れる2秒前。

(つづくのか)