フライの雑誌社の創刊編集長の中沢さんが亡くなって、あしたから13年目に入る。わたしが『フライの雑誌』の今の立場になったのが、2003年11月発行の第63号だ。早いと言えばとても早い。本当にあっという間だった。アインシュタインの相対性理論によれば、凝縮した時間を短く感じる分の3倍、人はしっかり歳をとっているという(うそ)。我が身のぐるりを見回して、たしかにトシくったなあと思う。だからなんだ。
過去を振り返るのはつまらないことだが、第63号からかぞえて雑誌を42冊つくらせてもらってきた。これはもうすべて読者の皆さまのおかげによります。本当にありがとうございます。もちろん寄稿者と関係者にも、感謝してもしきれない。今、43冊目になる次号第106号の編集企画をたてている。まだこれからもしばらくお世話になるつもりです。いやだなあと思ってもお願いします。ごめんなさい。
個人的には第100号をこえたあたりから、雑誌づくりが純粋に楽しいと思えるようになった。お金の話は年々きびしくなるし、企画や編集の実作業でもこれまた体力的、能力的に日々きつくなりつづけている。であっても、折りにふれ〝楽しい〟と感じられる。不思議だ。
長い長いアプローチの果てに、自分の実力よりグレードの高い壁を攀じっている時、脳がスパークする。あれと同じだ。ここまできたら墜ちたら墜ちたでしかたない。面倒みてくれていた皆さんも「あ、墜ちたか。」と笑ってくれるだろう。惜しむらくは「第100号をこえたあたり」でやっと楽しくなってきた、というのが、なんといっても遅すぎた。10年かかっちゃった。しょせんわたしの仕事だ。
あなたの釣り人心はささくれだっていませんか。
フライを始めたばかりの頃のドキドキ感を、
今も持ち続けていますか。
これは第63号の特集に、わたしが書いたリード文だ。フライフィッシングにドキドキしているかって? 若造がなにをえらそうに、と2003年のわたしに言ってやりたい。大きなお世話だ。こちとらずっとずっとドキがムネムネしまくりで、いつ血管が詰まって爆発しても不思議じゃない。
雨が上がった。オイカワを釣りに行こう。川まで歩いて一分だ。いまうちは釣り雑誌の編集部として理想的な環境にある。次の一冊はもっと楽しくなるに決まっている。